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[コメント] Diner ダイナー(2019/日)

蜷川監督の写真家としての才能は良くわかったが、映画監督としての能力はやはり疑問に思わざるを得ない。
Master

**ネタバレ注意**
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原作未読です。

スクリーンに映し出される映像を静止画として捉えれば、その視覚的な映え具合は良い出来である。一瞬を切り取る写真家としての蜷川監督の本領は良く表現できている。しかしながら、蜷川監督はそれが動けばすなわち映画であると錯覚している節がある。それは大きな間違いだ。映像はストーリーを観客に提示する一つの道具であり、台詞や劇伴も含めて表現しなければならない。おそらく蜷川監督にその自覚は弱いか、そもそもない。

何せ冒頭10分が全く不要で、観客の興味を思いっきり突き放す出来にしている。カナコ(玉城ティナ)の孤独感や人格、舞台であるダイナーに行く事になる理由を提示しているのだが、恐ろしく冗長。ボンベロ(藤原竜也)やスキン(窪田正孝)との会話で情報開示すれば全く問題がないのに視覚的「工夫」を駆使してダラダラ提示するのが掴みとして成立すると思っているのがその証左だ。

そして、ボンベロがカナコを「認める」描写が弱いのも本作にとっては大きな瑕疵である。このダイナーは「皿の置き方ひとつで消されることもある」という設定なのだから、そんな中でもカナコが次第に客を上手く扱う(あしらう)ようになる描写ぐらいはないとボンベロがカナコをあくまで生かそうとするところに説得力を持たせることは難しい。スキンの豹変に対する対応などを含めて、この部分が全体的に「手続き」に終始しているため、納得感が弱い。どうしてもそういう表現が難しければ菊千代がカナコにはすんなりなつく事をはっきり示して、ボンベロが意識を変えるカットを入れても良いだろう。

とは言え、蜷川監督の過去作などから考えて、正直この題材で本作以上の出来を期待するのは酷であろうとも思う。蜷川監督がサイケデリックな世界観を切り取る事に長けていることは改めてよくわかった。そちらの世界で活動していただければと思う。

(2019.07.06 シネプラザサントムーン)

(評価:★3)

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