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[コメント] ザ・フー:アメイジング・ジャーニー(2007/英=米)

原副題の“The Story of the Who”が最も端的に内容を表している。これがThe Whoの正史となるのだろう。バンドの生涯が一貫した全体像として理路整然と提示されており、これからザ・フーの「物語」を追おうとする者にとっては『キッズ・アー・オールライト』より先に見るべき映画となるに違いない。
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ザ・フーを素材に傑作映画を作ることは、おそらく難しくない。彼らのライヴ・パフォーマンスのダイナミズムはまさに映画的であるのだから(ピート・タウンゼント自身、ザ・フーの視覚性については何度も言及している)、『キッズ・アー・オールライト』がそうであったように、ライヴ映像を中心に構成すればそれだけで映画は傑作たりえてしまうだろう。しかしこの映画はそれを選ばなかった。『アメイジング・ジャーニー』はザ・フーが生きた/生きつつある「物語」を語ることを使命として自らに課している。それがために『キッズ・アー・オールライト』のような傑作となりえなかったとしても、その姿勢は本気である。

この映画が本気であること。それはレア・フッテージの量や、陽の当たりにくい楽曲まできちんとサウンド・トラックに取り上げていること(たとえばThe High Numbers時代の“Zoot Suit”“I'm the Face”であるとか、それ自体はザ・フー屈指の名曲で、近年のライヴ・レパートリーのひとつでありながら最も低く評価されているアルバムに収録されているということもあってファン以外には馴染みが薄いであろう“Eminence Front”であるとか)などからも窺えるが、主要な証言者に初期のマネージャのクリス・スタンプテレンス・スタンプの弟だそう)と現在のマネージャのビル・カービシュリーを迎えていることが明瞭に示している。もちろん見栄え(興行)を考慮してであろう、ノエル・ギャラガーエディ・ヴェダーといった「にぎやかし」の面々も登場しはするが、初期のザ・フーをクリエイティヴな面からも支えたキット・ランバート亡き現在にあってはスタンプとカービシュリー、それにメンバー自身の言葉を中心に映画を組み立てることは、本気でザ・フーの物語を語らんとする『アメイジング・ジャーニー』にとっては当然のことだろう。あるいはシェル・タルミーケニー・ジョーンズといったザ・フーに対して複雑な感情を抱いているに違いない、しかしザ・フーを語る上では無視できない人物たちを招聘しているという点を付け加えてもよい。

この映画は自らが語る物語をザ・フーの正史とすることに成功している。それは疑いなく賞賛に値する功績であるが、しかしこの映画に不満を覚えるとすれば、それもまたその点に対してだろう。というのは、そもそもザ・フーは「理路整然と」語れるようなバンドではなく、もっと多面的で混沌とした集合体だと思うからだ。単純なところを云えば、たとえばこの映画も、またこれまでの多くのメディアも、ザ・フーのシリアスな面を強調しすぎているのではないか。ザ・フーは虚実すら定かならぬ馬鹿馬鹿しいエピソードに彩られた(私が思うに、世界一)「笑える」バンドでもあるのだ。とりわけ気難しい性格について言及されることの多いピートにしても、同時に、隙あらば人を笑わせようとするとても愉快な人物であって、そのことはこの映画に収められたインタヴューの端々からも感じ取れるはずだ。

だから、私は、「この映画はたかが正史にすぎない」と云ってみたい。これもまたひとつの側面から眺められ、ひとつの解釈を与えられたザ・フーにすぎないのだ。だが、繰り返しになるが、本気でなければとても作れはしない映画だ。例によって私は泣いた。泣きに泣いた。これは最高の被写体に非常な敬意を払いながら紡がれた、あるひとつの物語=歴史の映画だ。

さて、しかし、以上の言葉は、ザ・フー主義者であり、なかんずくピート・タウンゼント主義者である者によって吐かれたものであることを割り引いて読まれねばならない。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)寒山拾得[*]

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