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[コメント] 彼女が消えた浜辺(2009/イラン)

女性の美しさにまず瞳孔が開く。私が見てきたイラン映画の多くは子供を主要人物に据えたもので、そこに大人の女性の出る幕はほとんどなかった。イランにも確かな女優が存在する。考えてみれば当たり前でもあるその認識を与える『彼女が消えた浜辺』は、私にとってのイラン映画の可能性を大きく開かせる。
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**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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舞台演劇にしたほうが映えそうな物語だな、というのが素朴な印象で、さらに主要シークェンスの進行は密室的であるとさえ云ってもよい。しかしその点をもってこの映画を批判しようとは思わない。カスピ海沿岸に求めたロケーションだけを見ても映画化の意義はあったと感じるし、自動車による移動シーンを律儀に撮影していることなどからも「映画」に対する演出家の意識の高さが窺える。そして何より、非常に優秀な技術を持った俳優たちによる芝居のうねりがある。

さて、この芝居の面白さは「議論」の面白さである、と云ってみよう。空疎な議論が大真面目に演じられ、作中人物たちがあたふた右往左往することの面白さ。もう少し具体的に云うと、議論の焦点となる事柄が、新事実の発覚や作中人物のちょっとした一言をきっかけに馬鹿馬鹿しいほどに次々と移り変わってゆくこと。たとえば、最も初めに焦点となるのは、云うまでもなくエリの安否である。行方不明になったエリが生きているのかどうか。「彼女は溺れた子供を助けに海に入ったに違いない」とか「いや、もう街に帰ったのではないか」ということから議論が始まり、そこから「帰ったとすれば我々に無断で黙って帰ったということになるが、彼女はそんなことをする女性なのか」「帰りたがってたのになんで無理して引き止めたんだ」といった具合に焦点がスライドする。彼女の荷物が見つからないことから「やっぱり帰ったんだ」ともなれば、セピデーがそれを隠していたことが明らかになると「なんでそんなことをしたんだ」と、これまた議論は横滑りする。最も重要な問題はやはりエリの安否であることに変わりはないはずなのに、あれやこれやあった挙句、最終的には「我々がエリの婚約を知っていたことを、エリの(兄を装う)婚約者に知られてはいけない」「彼がエリの婚約者であると気づいていることを勘付かれてはいけない」とか「やっぱ洗いざらい正直に話すべきでは」といった、エリの生死に比べればハッキリとどうでもよいことが焦点化されてしまう。したがってこれは(人の生死が関わっている点で難易度は高いだろうけれども)きわめてコメディと相性がよい展開を持つ物語と云えるだろう。むろんこの映画は笑いを喚起する演出を選択していないが、作中人物たちを一種の極限状況に置くことによって、コメディと表裏一体であるような人間のありさまを描くことが目指されている。

さらに、そのような議論的芝居の面白さを純粋化させている要素として、作中人物たちの関係性というものが挙げられるだろう。彼らは一言で云って、家族ぐるみの付き合いを持った「仲良しグループ」であり、そこに嘘偽りはない。彼らのうちに決定的な仲違いはついぞ発生しない。こういうストレスフルな状況を設定した劇であれば、「表面上は仲がよいけれども、心の中では少なからぬ悪感情を抱いている」とするのが現在であればむしろ一般的ではないだろうか。それは要するに、ストレスフルな状況を発生させる出来事(ここではエリの行方不明)をマクガフィン的に扱って「人間性や人間関係の虚飾を暴く」ことを目的とする劇である。『彼女が消えた浜辺』がそれをしないのには、映画が提示する「イランの女性や男女関係にまつわる言説を浮かび上がらせる」という社会的文化的テーマを阻害しないためという側面も当然あるだろうが、やはりまず議論的芝居の面白さに資するためと捉えたい。この映画においては、議論というものが本質的に(?)持つ「脱線性」とは無関係な「人間関係に関する作中人物の個人的感情」はきわめて小さくしか取り上げられない。

 ところで。私の記憶が確かならば、この映画のファーストカットはとても不思議なものでした。それは郵便ポストの内部を撮ったものではなかったでしょうか。投函口と思われる細長い長方形から差し込む光、そこから郵便物らしきものが差し入れられるさま、また外部から聴こえる雑踏のざわめきのような音からそう判断したのですが、このカットはいつの間にか(カットが割られないまま)暗闇が覆うトンネルのそれに取って代わられていました。その技法がどうこうというわけではないのですが、このことから私はてっきりこれは「手紙」が重要な小道具を演じる映画なのだと早合点してしまいました。しかし本篇を見てもそういうことは一切ありませんでした。あの意味深なファーストカットはいったい何だったのでしょう。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)味噌漬の味[*]

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