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[コメント] さすらいの女神(ディーバ)たち(2010/仏)

すべてのシーンを抱きしめたい。私が偏愛する映画の多くは巻頭の早い段階で理由不詳のまま私を打ちのめしてしまうのだが、この映画もまたそうだ。ソニックスの“Have Love Will Travel”とともにネオンサインで描かれたキャスト・クレジットがくるくる回るオープニング・タイトルからもう泣けて仕方ない。
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**ネタバレ注意**
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全篇たまらん。マチュー・アマルリック演じるジョアキムはパウロ・ブランコをモデルにしているそうで、なるほど口髭はそういうわけか、と納得する以上に、口髭を蓄えたアマルリックの顔面がまったく七〇年代アメリカ映画的なそれとして現れてくることに驚き、ただただ見惚れてしまう。でっぷりと肉付きのよい小母さんたちの肉体が「綺麗だ」などとそれこそ綺麗事を云うつもりはさらさらないが、画面を支配するこの重量感と細身で小柄なアマルリックの対照がまず瞳を惹きつける。

まるで劇中のツアーさながらに、あてどもないように観客を連れ回した果てに辿り着いた離島のラストシーンはどこか夢のように撮られ、何もかも丸く収まったかのごとき穏やかな情感に満たされる。むろん演出家の意図したところだろうが、物語展開の論理性にはあまり頓着がないようだ。その代わりにひとつびとつのシーンは恐るべき充実度に達している。全シーンが面白く、愛おしい。それは、これが私の好む「駄目男」「旅芸人一座」の物語であるというだけで説明のつくものではない。生きた台詞が飛び交い、途方もない量の演出アイデアが惜しげもなく注ぎ込まれ、クリストフ・ボーカルヌの撮影がシーンの感情を汲み尽して「綺麗な画面」とは別次元の「美しい画面」として情景を切り取っている。アマルリックと子供たちのシーン。リハーサル中にちんまりと椅子に座ったアマルリックが何かと口を出す後ろで、男たちがバドミントンに興じているシーン。ミランダ・コルクラシュアと罵り合ったあとに、アマルリックが所在なげな肉体を持て余すかのようにふらふらと林檎を探し回るシーン。アマルリックとレンタカー屋の女性オレリア・プティの会話シーン。書き出していけばまるできりがないが、もちろんステージのシーンもそうだ。とりわけジュリー・アン・ミュズの巨大風船を用いたパフォーマンスの面白さ!

決して完璧な映画ではない。しかし欠点までもが愛すべき隙として、作品が閉じた世界に完結してしまうことを斥けるように働いている。実に映画らしい映画だが、一個の創造物であることを超えて、これは私たちの世界と地続きであると感じさせる。だから、『さすらいの女神たち』は私にとって完璧な映画だ。

(評価:★5)

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