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[コメント] ルームメイト(2013/日)

いや、確かに問題点もあるがこれは決して悪くない出来で深田恭子ファンの私は機会がある毎に積極的に擁護して作品が埋もれることを阻止したい。第一ショット、大雨の排水溝のグレーチングとそこに引っかかった、「分離」された人形の頭と身体、その奥の暗闇。これはラストショットの鉄格子と「二人」が「共に」歩を進める後姿、その廊下に射し込む太陽光と奥の明るさで見事に対照化されている。私はこのラストに胸を打たれた。
赤い戦車

「手を掴む」というアクションが伏線になっている、そしてそれが強調されることなくさり気なく示されていたことに感心するし、台詞で「手の感触が違った」などとは言わせない。クラブADRIANAの鏡面に満ちた内装も見事であるし、オープニングやクラブに面する通り、そこに通じるトンネルなど夜間並びに暗闇シーンでの照明は石井隆作品にも匹敵する達成度だ。この監督は「影」が映画的であることを理解しているわけだ。確かに説明台詞も多いが、本作、肝心なところは殆どを視覚的に処理している(例えばラスト近くの海が見えるベンチ。微動だにしない監視員は深田恭子を登場させるためのもの。)わけで、その点において澤井信一郎西谷弘といった職人監督と共通した強かさを感じるのは私だけであろうか。

視覚的な伏線といえば共有する部屋のビーズで出来たのれん、ことある毎に揺れて画面に運動感を呼び込むのだが、あれもまた北川景子の回想シーンに出てくることで映画全体の統一性を強める。

統一性に関する努力は他にも多く見られる。例えば分割画面は「3ヶ月前」「3週間前」といった時制が示された後にだけ必ず出されるし、「分身」を暗示する鏡の画面への取り入れ方も決してこれ見よがしではなく、あくまでも物語を語るカット割りの中で示されていくのが悪くない。また、北川景子深田恭子が同一カット上で同じ他者とコミュニケーションする場面が一切ない。他のレビュワーの方が指摘していたウェイターのシーンは、ウェイターが反応しているのは北川景子だけであり、またケーキ2つは一人で2人前分頼んだと考えればいささかも不自然ではない。これはそもそも注文する場面がないことから生じる疑問であるが、そのようなシーンは撮ったところで全く映画的にならない上にただの説明にしかならないことは自明の理であり、割愛の判断は正しかったと思う。

北川景子(一呼吸置く)台詞喋る→深田恭子(一呼吸置く)台詞喋る→北川景子(一呼吸置く)台詞喋る→…ままごとのようで何とも微笑ましい。しかし、この映画は頑張っている。高良健吾がコンサート会場にやってきて四人目の女を探す。一人の肩に手を置くが人違い。再び探す高良。それを俯瞰で捉え、左にパンをすると風船が1階から2階へと上がっていき、田口トモロヲ、続いて画面端に目当ての女がフレームインしてくる。このショットの呼吸など決して看過してはならないと思うのだ。

さて、私はラストカットに感銘を受けたのだがそれは冒頭にも書いたとおり第一ショットと対照になっているからなのだが、更にもう一つ、最早修復不可能に思えた「二人」の仲が「共に歩むこと」を通して再び良好に戻るのではないかという、希望を持たせて終わるからだ。一度付き添いの看護師と共に北川が廊下の奥へと歩みだす。鉄格子が閉ざされ、その動きと合わせて高良健吾へと切り返される。ここで高良の視点であることが示され、再び北川の方へと切り返してラストカットとなるのだが、ここで右にいる看護師には明らかに深田恭子が投影されている。もしかすると本当にあのカットだけ深田が出ているのかもしれない。思い返せば、深キョンの初登場シーンは大塚ちひろを仰角で捉えたカットで天井に映った「影」、そして北川景子の視点を示すカットの後に病室の入り口に看護士姿で立っているカットが繋がれていたはずだ。北川と深田が再び仲直りすること、そして深キョンが映画中盤から完全に失われてしまったその笑顔(勿論北川景子を虐めるドSな演技も個人的には最高でしたがね笑)を再び取り戻す日が訪れるのでは、という淡い希望がこのラストカットには込められている。だからこそ私の胸を打ったのだ。

(評価:★4)

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