コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] ブルータル・ジャスティス(2018/米=カナダ)

傑作。S・クレイグ・ザラーという名前は今後記憶しておいた方が良い。これは紛れもない「作家」の映画。また、メル・ギブソンに晩年の代表作が出来たことも祝福したい。
赤い戦車

一言でいえば「禁欲的」と形容したくなる。飾り気のない室内、質素な内装、殺風景さに拍車をかける暗くくすんだ照明。どこにでもある風景をさらに没個性化し、抽象的な空間を捏造すること。

また、犯人グループは覆面を外さず、常に黒ずくめの服装でその「個性」をはく奪されている。実際、3人組のうちスター格であるトーマス・クレッチマンを除く後の2人は、どちらがどちらであるか最後まで判別不可能なのだ。また、銀行強盗シーンではレコーダーによる脅迫が流され、「声」すらも発することができない。この犯人たちの非人間性は、確かに怖さを演出する目的もあるかもしれないが、それ以上に何か演出家の強迫的なものすら感じさせる(「覆面」は最終的にメル・ギブソンとヴィンス・ヴォーンにすら装着させられる)。

こういった特徴は、クレイグ・ザラーの処女作「トマホーク」(言語を発しない真っ白な蛮族、その生活感のないねぐらを想い起そう)や精神病棟を全く色気なく撮影した(外装はむき出しのコンクリートであった)脚本作「ザ・インシデント」から続く、作家的固執といっていいだろう。

では何故そのような禁欲的な抽象空間をザラーは目指すのか。それは、彼がアクションの衝撃を最大限にまで引き出し、その突発性と即物性を観客にダイレクトに届けたいがために編み出した演出法の一環なのだ。

この映画の突発的アクションは最初から最後までいずれも素晴らしい。ドラッグストア内で入ってきた客とレジの店員を撃ち倒す、あっけらかんとしたロングショットを観よ。そこには審美性などとは無縁の、むき出しの暴力が転がっている。

こうした抽象空間でのアクションが頂点に達するのがクライマックスの屋外銃撃戦である。夜間、周囲が見えず、遮蔽物もなく、ライトに照らされた廃ガソリンスタンドの敷地と2台の車のみに限定された空間。登場人物の位置関係を明確にし、何が起こったか具体的な運動を明晰に見せる視点を採択し、的確なタイミングで繋げば映画は緊張を保って持続し、事足りるという確信。この監督の手腕は、最早ジョニー・トーからメルヴィルを経由して、ブレッソン的禁欲性まで到達している、とまで書くのは言い過ぎだろうか。

実際、本作にはいくらかの欠点もある。会話を長く撮りすぎるきらいはあるし、ヴィンス・ヴォーンの嫁が指輪を見つけて電話をかけてくるシークエンスの挿入もあまりに分かりやすすぎる。内臓描写を好む点も受け付けない方もいるだろう。

だが、これだけは言っておきたい。 低迷していたアメリカアクション映画界に、いささか奇妙な作風ではあるがれっきとしたビジョンを持つ「活劇作家」が出現した。その寿命が短いものになるか、長く続くものになるかは今のところ明らかではない(実際、本作はアメリカで悲しくも既にゴールデンラズベリー賞にノミネートされたようだ)。ただし、その存在そのものが映画ファンにとって祝福すべきことであるのは間違いないだろう。

(評価:★4)

投票

このコメントを気に入った人達 (1 人)ゑぎ[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。