コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] トロピック・サンダー 史上最低の作戦(2008/米=独)

「イメージ」(類型化)=レッテル貼り=俳優差別=人種差別。呪符とも言うべき「レッテル」からの脱却を求めてもがくドタバタに託し、差別の仕組みを嫌味なく遠回しに愉しく解説したコメディの快作。ぱっと見そうは見えないという知性派。所詮A級とは言い得て妙だが、まあいいじゃないか。
DSCH

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







「アクション俳優」「お下劣ギャグ俳優」「オスカー俳優」「草食系俳優」「男根主義的ラッパー」「イギリス出身の堅物文芸映画監督」・・・ここにはイメージを固定化、類型化された人間たちばかりが登場する。

類型化で輝く者もいるが、類型化に苦しむ者もいる。後者の「脱却」のドタバタが基本的な面白さだ。冒頭の偽予告編は十分すぎるほど俳優達の「レッテル」を印象づけることに成功している。

起結として、善意の脳筋アクション俳優は「演技派」として再誕、堅物文芸映画監督はギャグそのものとして「壮絶な」死を迎える。「草食系俳優」は恋人を獲得し、ラッパーはゲイであることを告白して自らの倒錯したキャリアを見つめ直す。類型化によって輝いていたオスカー俳優が、なりきっていたはずの「黒人」に演技を否定され、類型化とアカデミー賞(名画指向というレッテル)に依存していた自らの演技を「差別」であったと気づく流れは最も注目すべき点であろう。そしてオスカーを「獲得してしまった」ベン・スティラーに新たな呪符が付される・・・そして最後まで脱却できない「お下劣ギャグ俳優」。クスリと類型化という二重苦。彼に未来はあるのでしょうか・・・

敢えて「類型的」であることによって「類型化」をクサす表現は、表現したい「画」と「思想」を客観的、冷静に見つめる第三者としての姿勢が必要だ。これは作り手の知性。そして演じる俳優達の「共感」が生き生きとした「画」を生んでいる。現実的に切実な悩みなのだろう。最も「共感」を持って演じていたのは間違いなくトム・クルーズだろうが、製作者にジャスティン・セロウが名を連ねていることも忘れてはならない。ロバート・ダウニーJr.の喋りも的確で面白すぎる。

何より「レッテル」に生きるために肉体を「偽造」するノルティの造詣が出色なのかもしれない。

個人的にはパンダ保護のキャンペーンキャラクターであったスティラーが、自衛のためにパンダを殺してしまった後でのマネージャーとの会話で「俺は超越した。ここは美しい」とのたまう下りが好き。

・・・所詮A級とは言い得て妙だが、まあいいじゃないか。

(評価:★4)

投票

このコメントを気に入った人達 (1 人)3819695[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。