[コメント] 彦六大いに笑ふ(1936/日)
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若い頃の徳川夢声のコメディが私は余り好きではない(『サザエさん』ぐらい枯れると好き)が、本作のリアリズムの造形はとてもいい。「もう死んだ」と云われた息子の丸山が帰ってきて、三多摩辺りで土方をしていると云う。徳川が俺は若い頃、三多摩の自由党で暴れ回ったと回想(三多摩壮士というらしい)すると、丸山は自由党とは訳が違うが、今も元気な仲間がいる。朝鮮の人が多いんだろの問いに、朝鮮の男が玉造でゴロゴロしていた俺をおぶって連れてきてくれたんだ、感謝していると答える。
直前の、一階のバーに入ってきたチマチョゴリの花売りの子供から即座に花を買う丸山と重なる。そしてラスト、親子は妹の堤真佐子を連れて地上げから陽気に立ち去り、三多摩に向かう。在日コリアンとの連帯を描いたが、検閲にそうとうやられた、と戦後に監督から聞いたと佐藤忠男が書いている(「キネマと砲声」)。原作脚本の三好十郎はプロ文出身で戦後は無頼派だった由。
地上げ屋と居座る男との対決話。その他の俳優たちもいい演技を残している。堤が愚痴りながら恋人の河村弘二を駅まで送るとき、後ろから懐手にこれ見よがしに付けてくる小島洋々が不気味(後年の小沢栄に似ている)。長い石段を河村は去るのだが、これはどこの駅だろう(汽車が到着するからセットじゃなかろう)。
寄り目の三島雅夫の酔漢造形は殆どたこ八郎。背中ばかり見せていた帰還したばかりの丸山から、もう一杯くれと声かけられて、下敷きになっていた箪笥から這い出てくる酌婦の清川虹子がすごい。珍しく悪役の英百合子も当然のように良くて終盤を締めた。ビリヤード場の片隅斜めに切って生活スペースの畳部屋にしてある美術、昔はこういうのがあったものだと思わされる。冒頭のダンスの練習のアコーディオンでの伴奏はガーシュウィンのサマータイム。
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