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[コメント] 祖谷物語 おくのひと(2013/日)

御伽の国のファンタジーが限界集落のリアルと絶妙に組み合わせていて感慨がある。監督はゴダール好き、アントニオーニ好きに違いなく、オマージュとしての取り込み方も上等。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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外国人ばかりの農園営むマイケル(クリストファー・ペレグリニ)の「ドロップアウトした者は、みんな悪循環から逃れてきて、悪循環と闘っているのだ」という言葉に深いものがある。みんな故郷への愛憎を抱えているのだろう。この外国人たちがトンネル工事反対のコールを上げて、夜は土工たちと交渉。住む処がなくなった動物が下に降りてきているではないかと指摘し、土工たちは返答できない。中盤にピケはって土工が重機で突破というドタバタ。このとき、畑作業している田中の周りの落葉が舞い上がる、アントニオーニみたいな印象深いショットがある(夜中に帰る大西、爺さんを探してさまよう武田の周りにも同じように雪片が舞い上がる)。トンネル開通してヒッピー農園は解散。そのとき田中は寝込んで、背中の傷は広がる。

たぶんいなくなった老人や若者たちの等身大の人形を作りまくるお婆さん。この人形たちの驚愕したような表情に得も云われぬものが感じられる。お婆さんは中盤亡くなり、夜中にいつまでも一緒にいたいと田中の爺さんに武田が抱きつくと、人形たちは活動を始める。夜中にバスが来て人形が乗り込むと、翌朝、田中の爺さんはいなくなっている。

武田を育てた爺さん田中泯は神仏に祈り、割り箸工場へ杉の木切って納品。彼の「石や木のような」無口が、無口な大西信満と無口合戦をしている。半壊した民家。住み着く大西。耕作放棄地は幾らでもある。不器用な農業は『魚影の群れ』の佐藤浩市が想起される。作った大根畑荒らされ、村上仁史から村の老人たちの仕業と仄めかされる。喰い詰めてついに畑泥棒。大西の受難は東京篇で「田舎でノンビリしたい」とボヤく彼への懲罰のようだ。有害鳥獣の罠にかかり、怪しまれていたらしい老人から射撃される。人間ですと叫ぶと気がついたのか、老人はぶっ倒れる。

冒頭の自動車事故、フロントガラス割って女が上半身バンパーに乗り上げている図がゴダールっぽくていい。自動車廃棄物はゴダールそのものだ。中盤、武田を乗せた夫婦ものは、人間たちは穢れていると云いながら車を転落させ、赤ん坊で掬われた武田のときと同じ、風化した車から武田は這い出す。「人間がいるとまず水が穢れ、土が穢れ、動植物が穢れて人間がまた穢れる。それを人間は知らない」。この過疎の土地から人間は去れというのだろう。武田が倒れると藁葺きの民家が倒れる。ここもアントニオーニ風。

武田が乗る黄緑のパッソルが泣かせる。友達のデートはクルマで遠くのジャスコ、というのが泣かせる。この女友達(石丸佐知)の進路は「東京」。彼女が男のバイクで家出する寸劇もゴダールっぽくていい。武田はリサイクル工場勤め。鉄塔があり電気は来ているが水はきれいな川や井戸で汲んでいる。有害鳥獣駆除で撃たれた鹿は穴を掘って埋められている。夜が青くて昔のカラー映画みたいなのは意図的なのだろう。

そして終盤は東京篇になり、武田は再度人形抱いて山に戻る。彼女が河瀬直美と取り組んでいるコケ(田中の背中に生えている)と浄化の研究という逸話はもうひとつ判り難い。これは本作の弱点だが些細なことだろう。東京と地方と、どちらかと云えば田舎は彼女の願望なのだろうけど、どちらが幻覚でもない、という処が面白い。この再訪は感慨があった。

(評価:★4)

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