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[コメント] この道(2019/日)

北原白秋は「万歳ヒットラー・ユーゲント」(!)も作詞した戦争協力者。しかし本作は彼が国家主義に傾倒した期間をまるで検閲に引っかかったかのようにすっぽり省略し、しかし無視する訳ではなく周辺人物に嘆かせる。この珍しい作劇は何なのだろう。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
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無理矢理に白秋を救済しようとしているかのようだが、しかし悪事を無視する訳ではなく、妻や与謝野晶子に毒を吐かせ、山田耕筰には戦後に懺悔させている。これは何なのだろう。

前半はいかにも瀬戸内寂聴らしいエロ懺悔。何てことないが大森南朋がいい味出している。妾に出て行かれて「ボクはひとりで待ち呆け」ってのが笑えた。詩作は鉄幹にも褒められ、詩人の人気投票一位、姦通罪にして童謡かいて、鈴木三重吉に紹介されて山田耕筰AKIRAとドタバタ調の大喧嘩。関東大震災の崩壊した町内でふたりは再会して、耕作が蝶々をヴァイオリンで弾いたら子供たちが唄ってくれて、こういう音楽をつくろう。そしてまず創ったのは「からたちの花」。ギコチない歌だと思っていたが、力んで作ったのだった。「この道」だって固い。

戦中、三菱長崎造船所に中島飛行機の社歌と依頼の手紙を放り投げている。何でもハイハイと引き受けて、山田耕筰も作曲で生きて行くために陸軍の依頼を受けたと飲み屋で告白する。軍人に「俺は陸軍の御用詩人じゃない。国民の詩人なんだ」と軍人追い返して塩撒こうとして、貫地谷しほりの妻に子供が育てられないと叱られている。

羽田美智子の与謝野晶子が「強きかな天を恐れず地に恥じぬ戦いをすなるますら武夫は」と詠んだのを妻に教えられ、白秋は訳を訊ねに行く。彼女は息子が海軍大尉として出征することになった、母親として一緒に生きて行くのだと答える。「水軍の大尉となりてわが四郎み軍にゆくたけく戦へ」。貫地谷も羽田もある種悪役であるのが本作のハードな処。

しかし、大森の造形も戦犯としてもっと悪役に振ってもいいだろう。戦後、追悼コンサートで取材されて山田耕作は、中途半端に戦争に関わった挙句、結末も見ないまま死んでしまったと泣いている(生き延びれば高村高太郎のように懺悔できたのかも知れない)。白秋にはこのようにもっと弁解しなければならない戦争協力があって、映画はそれを描き切っていない半端さが残る。Wikiには、「1938年(昭和13年)にはヒトラーユーゲントの来日に際し「万歳ヒットラー・ユーゲント」(!)を作詞するなど、国家主義への傾倒が激しくなったのもこの頃のことである」。1942年没。

本作での白秋は、大した悪事は働いていないように仮構されている。軍で選評させられて菊池寛は「進軍の歌」、白秋は「露営の歌」を推している。後者は戦場の嘆きの歌だ。菊池寛は戦中の役割を嬉々として演じた男で、映画は彼との比較で白秋を救おうとしているように見える。石灯籠のような初期ラジオの街頭スピーカーが面白く、JOAKの札が貼られ、回りに木製のベンチが並んでいて、みんなラジオを見上げている。そこに腰かけていたら近所の少年の出征を偶然見送ることになり、ラジオからは「露営の歌」が流れるというイロニーに使われる。

そのとき糖尿病で倒れ、失明し、昭和13年、見舞った山田耕筰は出征の挨拶、「軍歌しか作らせて貰えなくなる。そうなったら日本の音楽は消えてしまう」「欧米列強に喧嘩吹っ掛けてたところで勝てやしないよ。奴等の国をずっと見てきたんだ。ボクには判る」「生き延びるんだ」「自由に作れる時代が来たら、また童謡をたくさん作ろう」と語る。欧米に詳しい人の戦争観はこういうものだったのだろう。しかし白秋はこんな話、聞く耳持たなかった訳で、そこを描写しないのはどうかと思う。

「長い道のりを一緒に来たなあ」という両雄の感慨も、山田耕作が途中参加のためだろう、この映画からは得られにくい。傑作「あめふり」の作曲は中山晋平、「赤とんぼ」は作詞三木露風。柳沢慎吾がオモロ顔もせず鈴木三重吉を淡々と演じているのにショックを受けた。

(評価:★2)

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