[コメント] あした来る人(1955/日)
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原作の馬鹿さ加減は酷いもので、凡百の浮気話に新婦人思想の粉をまぶし、社長の総括で締めくくって何かを語ったつもりなのだから呆れるばかり。三國連太郎と新珠三千代が最後にくっつけば優れたどんでん返しになっただろうが、そういう愉しいことはしてくれるばずもない。
撮影にも演出にもやる気が感じられないのは、この下らない企画のせいであるに違いない。少なくとも撮影と演出は日本映画の黄金期50年代に相応しい意欲作『愛のお荷物』と『銀座二十四帖』の間に撮られた作品とは信じがたい、平板なカットとカット割りの連発。早く帰って酒でも呑みたいというスタッフの主張がビンビン伝わってくる。山村聰や新珠の優れた演技が浮きまくっており、まるで横で回されたメイキング映像にみえる。唯一の例外は子犬を散歩させる三橋達也の件で、寂しげな背中が印象に残るが、前後関係から浮きまくってもいる。
一体、新珠ですら知っている三橋の遭難記事を、山村が知らないなんてことがあるだろうか。山村から貰った子犬を三橋が以前飼っていたという説明を聞いた時点で、新珠はふたりの関係を想像しなかったのだろうか。脚本も穴だらけである。
登山隊の空港ロビーでの見送りに蛍の光が流れている。なぜだろう、と思わせて、「いや、少女歌劇団の見送りと重なりましてね」。本作唯一の川島らしいギャグで、深刻なクライマックスをほとんどぶち壊しにするかのように挿入される。忖度するにこれは川島の、下らない企画への些細な抵抗に違いない。
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