[コメント] 続・荒野の用心棒(1966/伊=スペイン)
墓掘りさせられバックバーを機関銃の試し撃ちで破壊され強盗の片棒担がされ商いパーにされ、なお善人なアンヘル・アルバレスの宿屋の親爺のタフさはいったい何処から来るのだろう。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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アメリカの悪を内部告発するにはマカロニ・ウェスタンという外部装置が求められた、という歴史的意義は伝わってくる。アメリカンニューシネマを覆っていた屈折がなく登場人物全員を突き放しているのが本作の美点と思う。当時グロいと叩かれたのも判る。耳削ぎなどの残虐より、ベトつくカラーと『フリークス』好みの奇妙な人物群がそう云わせたのだろう。ヤコペッティはじめ、なんでこの頃のイタリア映画はこういうタッチなのだろう。パゾリーニが偉大だったからなんだろうか(違うと思う)。
泥濘は乾燥した西部の異化なのだろうが、劇中一度も雨が降らないのは何故だろう。金積めた棺が底無し沼に沈んで改心するなんてのは、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」みたいな子供向け教訓劇みたいで膝カックン。この辺りで興味が離れてしまった。
このときブランコ・ネロが宿屋に残した機関銃が、その後国境に突撃するメキシコ革命軍にも、ネロの最後の対決でも使用されないのは妙だが、こういう手落ちがあってこそのB級映画なんだろう。結局、ベストは棺桶引きずるファーストカットだった。そこではメメント・モリが見事に具象化されている。
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