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[コメント] ほかげ(2023/日)

少年が大人の狂気を垣間見る物語。
ペペロンチーノ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







印象的なタイトルバックです。カウンター上に横たわる趣里の「片腕」。そして映画後半に登場する森山未來演じる「片腕(右腕)」が不自由な男。都市と肉体を描く作家・塚本晋也ですから、意図があると思うんですが、それが何を意味するのか、私には読解できません。

野火』『斬、』に続く3部作だそうですが、私はそのテーマは「暴力」だと思ってるんです。いやまあ、元々暴力描写が多いんだけどね。ただ、マクロとミクロの暴力と言うか、戦争などの国家レベルの巨大な「暴力」と個人レベルの「暴力」の両方が描かれているように思うのです。特に本作は、肉体的な危害と同時に精神的な痛みも描こうとしているように感じます。

戦争という巨大な「暴力」で精神を病んだ者を描く。同時に個人レベルの「暴力」も精神的な痛みが伴います。豹変する元教師の好青年は、趣里と「坊や」の気持ちを傷つけます。最初から悪人より始末が悪い。森山未來は、自らの死と天秤にかけながら(自身の精神的な痛みと葛藤しながら)暴力を実行します。

そう言った意味では、酒を持ってくる利重剛も元教師も、善良そうな顔をして弱者につけこんだり暴力を振るったりする。それも女や子供に。まったくもう、利重剛のくせに。でも、森山未來は、自分より上の者に対する復讐なんですね。彼の方が人として真っ当な気がします。まあ、復讐を称賛しちゃいけないんでしょうけど。

そしてもう一つ。闇市のオッサンが「坊や」を放り出します。それでも少年は何度も立ち上がり、皿洗いを手伝おうとする。きっと闇市のオッサンは心が痛んだのでしょう。でも、それが「希望」なのです。そっと食事やバイト代を差し出した彼の「赦し」と、何度も立ち上がる少年の姿勢に、塚本晋也は「希望」を描こうとした。それは戦後日本ではなく、今、現在の社会の「暴力」と「不寛容」に対する批判と微かな「希望」でもあるのです。

もう少し言うと、少年が大人の「狂気」を垣間見る物語なのだと思います。本作で描かれる「狂気」の根源は戦争という巨大な「暴力」です。巨大な暴力を受けた個人(大人たち)が、さらに弱者の少年に暴力を振るう構図にも見えます。そう考えると、現代社会の「暴力」と「不寛容」は、今の子供たちの目にはどう映っているのでしょう?

(2023.12.10 渋谷ユーロスペースにて鑑賞)

(評価:★3)

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