コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] また逢う日まで(1950/日)

「柔弱」、「未完成」。

久我美子演じるヒロインはともかく、岡田英次演じる主人公には、戦中に生きているにはあまりにも柔弱であるように思えて、最初どうにも違和感が大きかった。だが終わってみれば、この人物造形は、恐らくは意図されたものだったのだろうとも思える。「柔弱」で「未完成」(どちらも劇中で父や兄からそのように指摘される)でしかない若者が、惨たらしくも望まぬ殺し合いに駆り出されていくという構図。戦中に於いてはそのように「柔弱」で「未完成」であることは、言わば“罪”だったのだ。だから戦後5年目のこの映画に於いては、そのような罪科から死んでいった若者達の魂を解放してやることが必要だったのかもしれない。

だが、敢えて言えば、それももはや60年も前の話となった。今にしてみれば、やはりその柔弱さは真っ当な大人の視座に耐えられないものになっているような気がしてしまう。何せ総力戦を闘う戦争なのだ。銃後の束の間の安息も戦地で生死を懸けて駆けずり回っている兵士達の命によって支えられていると思うなら、自分が色恋にかまけていることに後ろめたさを覚えてもしかるべきなのではないか、という気がしてしまう。それを指摘したら紋切型の文句と切り捨てられてしまったんでは、死んでいった兵士達の命も報われないのではないか。あるいは、切り捨てるなら切り捨てるでもいいのだ。ただその言葉を現実にぶつけて、自分自身の手足で闘ってみるだけの気概があるのなら。だがそれも出来ずに、ただ過度な内面吐露でその慨嘆を託つだけであるというのなら、その柔弱さを謗られても仕方ないのではないか、という気がしてしまう。

(評価:★3)

投票

このコメントを気に入った人達 (2 人)くたー[*] けにろん[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。