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[コメント] アレックス(2002/仏)

LE TEMP GENERE TOUT.

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







ギャスパー・ノエが語るところのもの:

 LE TEMP DETRUIT TOUT.

 この言葉の持つ表の意味「時はすべてを破壊する」。これは私たちの生活において身近に実感することができる。道具は壊れ、食べ物は腐り、人は死ぬ。しかし、単にこのような意味を主張したいだけならば、時の流れを逆流させる必要はない。幸福な情景に始まり、暴力的な光景で終わるなら、私たちにはその破壊の衝撃が余韻として残される。しかし、この映画のラストは幸福感を残す。破壊に始まり、幸福で終わることで。

 破壊は単なる消滅ではない。「破壊する」と言うとき、主体はその対象を必要とする。「破壊するdetruire」は他動詞であり、直接目的語を必要とする。この行為は、対象に関わる。もし、破壊が消滅を意味するならば、「時はすべてを破壊する」以上、私たちの未来には〈無〉しかない。破壊する対象をなくした〈時〉は、すべてを破壊し終わることで、「自殺するse detruire」のか?そうではない。時による破壊が消滅を意味しないことは、私たちの常識が教えてくれる。道具が壊れたあとには、無ではなく、道具だった物がある。食べ物や人も同じである。腐ることは、微生物による分解であり、消滅ではない。「質量の保存」。微生物のエネルギーに代わっている。ここで起こっているのは〈変化〉である。

 変化は、例えば食べ物における〈腐る〉という変化は、人間にとっては〈破壊〉であるが、微生物にとってはエネルギーの〈生成〉である。破壊と生成が一重であることは、破壊という行為がその対象として、前もって生成している何ものかを必要とする、ということだけではない。或る視点から眺められた〈破壊〉は、別の視点から眺められるならば〈生成〉なのである。すなわち、破壊は生成(generation:生殖)そのものである。

 これらのことを理解したとき、「時はすべてを破壊する」という言葉の隠された意味が明らかになる。この言葉はまず、私たちに馴染みの意味を想起させる(あらゆるものは時間によって失われる)。しかし、物語は時間を逆行する。原題とは反対に。生成に始まり破壊に終わるのではなく、破壊に始まり生成に終わる。この遡行が、破壊が行われる以前に生成がなければならないということを明らかにする。そしてそれと共に、映画というメディウムにおいて、時間軸上、破壊の後に生成が現れる。映画の物語ではなく、映画の形式上の配置によって、生成に先立つ破壊を示し、破壊が生成を前提するように、生成が破壊を前提とするという事実を顕在化させる。

 ギャスパー・ノエの作品が、その過激な暴力描写にもかかわらず、観終わったあとにポジティブな印象を残す理由はここにある。すべては失われるという私たちのネガティブな固定観念に対して、「破壊は生成である」というポジティブな視点が与えられる。破壊は新たな生成のための通過儀礼なのである。真の消滅とは、破壊の否定なのである。破壊を否定することは、何ものをも生み出さないことにつながり、何も生まれないところでは、すべては石化し、あらゆるものはその生命を失う。私たちの存在は、常に生成変化し続けることである。常に破壊し続けることである。新たな生成のために。

 LE TEMP GENERE TOUT.

すべてを破壊する時間は、同時にすべてを生み出す。

(評価:★4)

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