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[コメント] 座頭市海を渡る(1966/日)

なんと新藤の非武装中立批判。『真昼の決闘』みたいな凡作と比較する必要はまるでない。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
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金毘羅参りで過去の殺生を悔い改めた市なのに、霊験はまるであらたかにならず、更なる試練に殺生を重ねることとなる。新藤好みの中世エロ入道の如き安田道代もまた市を惑わす妖怪変化と見るべきだろう。中盤の水浴、続く市の夢での女児との水浴の回想辺りにこれは顕著だ。

市に斬られた井川比佐志を水葬に付した馬は市を案内して妹の安田の家に至り、安田は刃物で襲いかかり、市は甘んじて受けて怪我を負う。この不思議な導入部は絶品である。なぜ市は安田に斬られるのか(市なら簡単に避けられたはずだ)。斬られてみたい、という倒錯した心情の反映としか受け取れない。それは殺生マシンの自分への自己破壊願望かも知れないし、エロチックなマゾヒズムかも知れない。ラスト、市はとっとと逃げ出す。当然だろう。

座頭市の時代設定は江戸時代だと思っていたのだが、本作は明らかに中世である。まだ馬賊が闊歩しているし、最後に農民の東野孝彦は刀片手に参戦する(廃刀令以降も農民は刀を持っていた、という知見が広まったのは最近のことで、本作の制作当時は知られていない)。子母澤寛の原作は江戸時代だし、シリーズの他の作品の多くもまた、役人が闊歩する江戸時代のものだから、本作だけの特別誂え、新藤の得意分野に引きこんだのだろう。

だから本作の詠嘆は『七人の侍』に似ている。「勝ったのはあの百姓たちだ」は、本作では農民代表三島雅夫の政治的判断(市が勝てばよし、負ければ、まあそれはそのとき)とともに、殆ど嫌味に高められており、クライマックスでは絵に描いたような卑屈と描写される。当時、新藤が日本社会党シンパだと信じていた人は卒倒しただろう、と思うと面白い。当然に新藤は、町民文化とやらの非政治性、なれ合いの日米同盟をあざ笑っているのである。

山形勲伊達三郎ほかの馬賊は新藤らしい捻くれた愛着を持って描かれており面白い処がある。肉の丸焼きも禁制なのであり、アウトカーストを描いている訳だ。「強いものに支配されるのをみんな望んでいるんだ」なる放言は、織田の軍勢だって口にしたフレーズだろう。終盤、池広の殺陣は上手くなくて大いに残念である。

(評価:★4)

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