[コメント] 狂った一頁(1926/日)
抑圧という壁と心の障壁の鉄格子。触れそうで触れられず、触れても離れることを強制される鉄格子の存在に、大正時代に横たわる荒波を感じる。受け手が様々な事を想像し物事を考えることによって、作品が“真”に仕上がることを立証した素晴らしい実験映画であり、これが映画の潜在能力を示したそのものだと強く私は思う。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
その時その時の学力、精神と肉体との関係に左右されて、その時その時に新たな解釈が出来る可能性を秘めた映画は滅多にお目にかかれない。さらに昨今の今の映画の潮流は、勧善懲悪と勧善懲悪に手を少し加えただけのお決まりの展開が蔓延るので、“滅多にお目にかかれない度”は増している。
そこに、この映画を見てしまった私は、インフルエンザの予防接種を∞本打たれた衝撃を受けた。見終えた瞬間の感触では、確実に全てを書き残しておきたいという欲望が沸き立ったけれど、今の現段階では、素直にその衝撃を咀嚼することに徹したい気分であり、全てをココに書き留めようとは思わない。例えココに書くことがそうでなくても、書くことで考えを一定の間でさえも固定するべきではない映画筆頭に位置すると考えたからだ。
それに、作り手もそれを明らかに望んでいると思う。
最後に、この場も借りて、川端康成と衣笠貞之介とのコラボレーションと、それを作る事を許した資本提供者に拍手を贈りたい。
2003/1/6
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (1 人) | [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。