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[コメント] アタメ 私をしばって!(1990/スペイン)

現実がフィクションを追いかけ、模倣してしまったのは恋愛の世界でも同じだったか……と複雑な心境に。1990年には、“過剰な純愛”でいられた物語が、21世紀にはその純粋性をどうしようもない現実に侵食されてしまっている……悲しいことだけれど。
かける

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
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不思議なスタートを見せるこの物語は、奇妙ではあるがカッチリとまとまった脚本と、アントニニオ・バンデラス演じる主人公の特異なキャラクターにグイグイと引っぱられてゆく。 暴走気味の機関車の牽引力に、気がつけば見たこともない“約束の地”にまで連れてこられてしまっていた……というのは、彼の周りの登場人物にしても観客にしても、同じ結果だったことだろう。

公開当時なら、この映画の奇妙な純粋性と爆発的なエネルギーは、ファンタジーの世界の演出にプラスに働いたかもしれない。1990年当時、「ストーカー」や「DV」、あるいは「共依存」という言葉がまだ一般的なものではなかった頃なら……という話である。

2002年のリアルワールドからこの映画を観た時、前に上げた3つのキーワードは、恋愛を語るキーワードにはなり得ない。今となっては「ネガティブなリアリティ」以外の何ものでもないからだ。 マスコミの報道の世界だけではなく、身近なところにそういった「事件」がいくつもあるような場所から観た時、もはやこの映画はファンタジーとして成立することは不可能だ。

ポリティカルフィクションは、昔から延々と「現実に追いこされ続ける」シーソーゲームをくり返してきた。そして20世紀末、ついにラブストーリーも、現実世界から大きな転換を要求されることになった、ということなのだろう。

そして、この映画の凄みというものは、その3つのキーワードの存在や、そこに至る過程の持つディテールが、まさに真に迫っているところにある。 例えば、これが友人知人の現実としての身近なケースと照らし合わされたとしたら、その「リアル」が観る者の胸をしめつけ、悲しみや苦しみ、あるいは一種の不快感さえ持たせてしまうだろう。 それほどにこの映画は、閉じられた世界に住む限定された人々の、奇妙な箱庭的物語として、あまりにもリアルな力を持っているのだ。 その完成度が作品自身の首をしめているとしたら、なんとも皮肉なことなのだけれど。

公開当時に観ていたら、あるいはその「非」日常性はカタルシスとして作用していたかもしれない。 しかし、「シャレにならない」映画になってしまった今となっては、このストーリーに向けられる視線は自然と冷めたものになるしかない。

現実世界がそんな転換を迎えてしまったことは悲しい。本当にそう思う。

(評価:★2)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)けにろん[*]

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