[コメント] キートンの漂流(1921/米)
キートンの身体性と応答関係にある舞台装置としての「船」が芸を支えているSO-SOサイレントコメディ
海流の「ゆらぎ」を得て、キートンの至芸を支える受動的な運動を生み出す装置としての船はゆえに彼の絶好の素材である。受難の喜劇が醍醐味であるキートン芸術の信条とイコールにあって実に用意周到な世界観である。いわゆるキートン航海ものといえる三部作(『キートンの海底王』『キートンの蒸気船』)の第一作であるが、彼にとって「船」というボディはデフォルメされた生命体にあたるといえる。ここで仮にチャップリンの笑いを生み出す武器が「ステッキ」であり、それを「ライトセーバー」とするならば、キートンのそれは彼の身体を包む攻殻的な「舞台装置」であり、その受動的な運動によって笑いを生むという性格から言って「モビルスーツ」に相当する。キートンの場合、そうした運命に支配される世界観に立脚し、受難劇の様相を呈すれば呈するほど彼の笑いは倍増するのである。本作でキートンの血肉となる「船」という舞台装置を生み出した美術のフレッド・ガブリーは、キートン組初参加であったとのこと。これまでにない映画のスケールともあってか、本作では、沈ませるべき船が浮いて、浮くべき船を沈ませるという失策を演じたようであったが、これ以降のキートン作品の重要なイメージづくりを担うこととなった。また、キートンと同じ平べったい帽子をかぶった男の子二人もやんちゃな愛らしさがあり、シビル・シーリーのセーラー服も可愛らしい。ただし、カットがアップに寄った時は少々違和感。ともあれ、ギャグのブレイク度はおとなしめ、しかし、ギャグ云々よりもキートンの芸風に思いを馳せる映画である。
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