[コメント] 時の支配者(1982/仏=独=ハンガリー=スイス)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
遭難のサスペンスにラストミニッツレスキューの危機感が乏しく、この僅か二年後に『風の谷のナウシカ』が公開されたことも思えばアクション演出の悪さは擁護のし難いところがある。エピソードの繋ぎにテンポを削ぐものもあり(シルバードの星での水浴シーン等は意味不明)、正直、演出面で綿密に構築し完成された映画とは見受けられない。美術は素晴らしいが、むやみにムキムキしたキャラデザは時代の壁を超えられない。
しかし、溢れる善性への全幅の信頼の温かさが、それらを補って余りある。
広大な宇宙で、僅か一本のマイクという命綱を伝ってジャファールたちのピエール(「僅か」子ども一人!)への善性が召喚され、ピエール=シルバードを経由して繋げられた数々の善性が全体主義の星と革命軍(旧体制だけでなく反体制も腐敗した悪)に鉄槌を下した。それが、ピエール=シルバードが意識せず自らと世界(一部ではあるが大きな一部)を救った道そのものであり、全ての事象は、善性が時空を駆け巡る円環の中で起こったことであった、と。
その円環の先に人間は何をみるのか?あのサンタクロースみたいな他愛もないおじいちゃん、可愛げのない宇宙の果ての一人のこどもこそが善性の着火点=ヒーローであったと分かった時に、あらゆる人間は何を思うのか?か細い一本の糸、「マイク」以上のツールが溢れている現代の地球で、ここで起こっている以上のことは起こり得ているのか?「あの老人が大好きだったんだ」という妖精の呟きに感慨を覚える人間でありたい、また、この顛末がファンタジーではない世界であってほしいと思う。
「マイク」が単なるツールとしての無機的な名詞ではなく「人物」としての、生きた、「名前」であること。ネットワークの向こう側に存在するのは「人間」である、という当たり前のようで当たり前でなくなっている現代に向けた古びない示唆がある。
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