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[コメント] 悪魔のいけにえ(1974/米)

凶兆・・・顔を持たない「何か」に、世界は切り刻まれる。全てが喰らい尽くされるまで。
DSCH

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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凡百のスラッシャー映画との最大の特異点は、まさに朝日を背景にチェーンソーを闇雲に振り回すラストカットのイメージだろうと思う。テキサスという局地的・具体的なイメージから、突然、抽象的・拡散的な「世界」にイメージがジャンプする。これが、レザーフェイスという顔を持たない匿名性のあるキャラ造形も相まって、全てを喰らい尽くす凶兆そのもの、という戦慄を呼び起こす。この感慨ごと斬り捨てるラストの編集が見事の一言。

不可解さ、という意味合いでもその抽象性の描写は徹底していて、占星術での土星の接近(凶兆)だとか、近代的な食肉処理システムへの過剰で倒錯的な傾倒だとか、モデルと言われたエド・ゲインの過剰なプロテスタント信仰や母への愛が起因の性的倒錯だとか、ほのめかされてはいるが、どれも説得的なキャラクターの説明にはなっていない。その抽象性にも関わらず、その手口は冗談と見紛うほどに過剰に具体的であり、抽象的ながら圧倒的に具体的な力に蹂躙されるというディザスター映画の変奏のようにも思える。

というより、あらゆる凶兆そのものが偏在しているという恐ろしさ、が顕現しているのかもしれない。まことに現代的、一般的恐怖ではないか。

トビー・フーパーから多大な影響を受けたという黒沢清は、この映画から、「暴力が開始される絶妙なタイミングのヒッチコック的ずらしや編集の驚き」を読み取っている旨、本作の爆音映画祭におけるインタビューでコメントしているらしい。確かにレザーフェイス登場から最初の犠牲者を処理し、鉄のドアを閉めるまでのテンポにはぎょっとさせられる。しかし、わたしには、これだけではなく、凶兆の偏在というテーマをすくい取っているように思えたのだが、穿ち過ぎだろうか。

にしても、どこまでも追いすがるチェーンソーの爆音を爆音映画祭で再現というのは、、、凄い企画ですよね。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)ゑぎ[*] 袋のうさぎ

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