[コメント] ドッグヴィル(2003/デンマーク=スウェーデン=仏=ノルウェー=オランダ=フィンランド=独=伊=日=米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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人間の汚さを見た。それにはとても憤りを感じ、反吐が出るほどムカムカし、嫌気がさす。しかしその反面、とても共感でき、間違っているとわかっていても否定することはできない。だって、きっと自分もそうだから。きっと誰もがそうだから。この映画は人間の根底に存在する部分をまざまざと見せつける。
チョークで分けられただけの舞台。セットと言えるものもほとんどなく、強いて言えば光による工夫が施されるだけ。ただ、その少ないミザンセンを最大限に生かしている。
当然チョークで隔てられただけの空間なので辺りは筒抜けで、プライベートと言えるものは存在しない。演技でそれを補うだけなのだが、とてもナチュラルにそれを見れたのは演技に不自然さがなかったからであろう。しかし、この演出の効果は終盤の街の人間が態度をガラッと変えた辺りから発揮される。
酷い扱いを受けるグレース。それは誰もが壁に遮られて見ていなくとも知っていることで、知らないフリをしているだけ。今まで当然のように壁があるように感じられたチョークの線には、もはや壁の意味をなさないのである。全て筒抜け。でも見えない。見ない。 さらにラストの結末の直前。彼女自身が葛藤する中で、月明かりに照らされる町の住人。街の全員の姿を見渡すことができる。ああ、なんと醜く見えることだろうか。光の加減とチョークによる壁がないからこそできる演出のコラボレーション。ストーリーも相まってラストには言葉が出ない。
また、ストーリーをナレーターが語り続けるという舞台的な演出もよい。客観性と寓話性が生まれ、見る者聞く者に考えさせる。「これはあくまで物語。だけど非常に身近な問題かもしれない。」と問われている気になる。淡々とした口調がさらに拍車をかけている。
演出の点でも評価に値するが、もちろんストーリー性も優れている。世間からも離れて端に追いやられて最下層の人間。そのカーストの更に下の層ができた時、人間はどうなるのか。映画『es』でもテーマになったが、人間の心というのは実に脆く、愚かで、弱い。前半の温かいムードとは一変してここまで手のひら返しされるとは…。むごすぎる。腹のむかつきが抑えられない。 じゃあ自分はどうだ。自分があの街の住人の一人だとしたら何か違うのか。わからない。わからないというのも偽善だろう。でもそうなりたくないとは思う。あくまでグレースの味方でいたい。
そんなグレース。カーストからの逆転。権力を行使する力を持つ。だからこそ葛藤する。だけどあまりに酷い扱いを受けたから。だけど味方だと思った人ですら裏切ったから。だけどどうせ救いなどないのだから。だから彼女は権力を行使する。結局住人と変わらない。それでいい。正直それを自分は望んでいた。だって彼女は神でもなければ仏でもないのだから。一人の人間。誰も違いはない。そんな自分が嫌になる。偽善だな、これは(笑)
強烈なメッセージと抜群の演出。最低にして最高の映画。
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