[コメント] 父ちゃんのポーが聞える(1971/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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吉沢京子の病名はハンチントン舞踏病。Wikiによれば現在も治療法はない由。吉沢は歩行中によく倒れるようになり、最初、鉄道病院では偏平足と診断されるが、父の小林桂樹は学校に体育の授業ができないと教えられ、病院に併設された肢体不自由児の学園に転向。教室の壁に懸かっている、児童が描いた、もげた両足の画が強烈に印象に残る。薬呑んでマッサージの治療は効かず病状は進行し、鉛筆を落とし本の頁が捲れなくなる。イラつく吉沢が痛々しい。「人が歩くのを見るのも怖い」と訴えている。
車椅子生活になり、名医に診察受けて不治、山奥の診療所へ。両手首を内側に曲げたまま自由にならない。病棟で夜に電気消して桂樹が盥のうえで花火するいいショットがあった。吉沢は家に帰りたいと泣き、妻の司葉子も同僚の藤岡琢也も家に帰してやれと喧嘩するが、桂樹にはどうしようもなかった。吉沢は言葉も喋れなくなり、五十音のボードを指さして会話。最期は看護師を呼ぶブザーが押せず絶命する。映画は悲劇を淡々と描写している。後半の吉沢の蒼白の顔が焼きつく。
桂樹は機関士で、機関車は病気の微妙な暗喩として使われるのだろう。昭和50年までに順次廃止だからと気動車か管理職の試験受けろと薦められ、桂樹は前者を選んで学校に通っている。桂樹は煤煙は公害だし運転手は寿命が縮まると語っており、そのような認識だったのだと発見がある。吉沢はオートメ化のなかひとつぐらい人間が動かすものが残ってもいいのにと云う。動けなくなってから桂樹におんぶされてもう一度機関車を見に来て、石炭と湯気と匂いが懐かしいと別れを告げる。もう死ぬのを知っている。
パン屋の佐々木勝彦が学園に画の指導に通い、吉沢は初恋。丘の公園でギター弾き語りする。吉沢のふたりでダンスする夢想は『オアシス』に似た切なさがある。続いて赤フィルターに泡が湧き出る科学映画みたいなショットで初潮が表されるのはヘンテコだが、科学の映画だからいいのかも知れん。娘の詩集読んで彼への思慕を知って、病院で思春期を迎えたんだなあと悲しむ桂樹にシンミリさせられる。恋しているのにお兄ちゃんと呼ぶ吉沢も哀しい。佐々木は東京に修行に行ってしまう。
桂樹は運転する汽車が山奥の診療所の傍を通るのを知り、合図に汽笛を鳴らす。吉沢を養女にほしいと願い出たこともあった喧嘩仲間の藤岡は、事故を起こし入院していた桂樹に代わり、汽笛を鳴らす。吉沢はこれを聞いて微笑んで亡くなる。後にそれを知って桂樹は藤岡に感謝する。この件をさらっとラストにするのがいい。想いを果たした藤岡は無法松の阪妻のようだ。地球の上には弾に当たって死ぬ女の子もいるんだ、いつまでもクヨクヨするなと藤岡は桂樹を慰めている。
貴女は詩人だから病気のほうが特なのだと、養護学校の先生吉行和子が微笑むのも印象的。芸術とはそういうものだろう。「私は父のためにだけ生きているのかも知れない。死んだら泣いてくれるのは父だけ」「失ったものを数えるよりも、残ったものを数えよう」と朗読される。桂樹と司葉子の結婚式は座敷で区長の十朱久雄が高砂屋を謡っている。大好きな千石規子が居酒屋の女将で登場して、終盤の桂樹と藤岡の喧嘩で必殺芸を札裂させるが、本作の終盤には不要だったかも知れない。舞台は富山県。
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