[コメント] グッバイ、レーニン!(2003/独)
旧東ドイツのある家族の話。 人生の中で一番幸福な世界である子供時代。 その舞台の「国」が消滅することと、 保護者であった母が倒れることが、主人公に与える影響。 姉の身勝手に対して一人必死に母を支えようとする主人公の弟は、 嘘を塗り固めて小さな世界をアパートの一室に構築する。 夫を失った母が傾倒した共産主義は、母が昏睡状態の間に一変する。 当然、弟の生活も一変しているのだけれど、 新しい世界に変わることを受け入れることは、古い世界との別れでもある。 母に対して必死に「古い世界はまだある」と嘘を続ける主人公の思いは、 アイデンティティの喪失と再構築の過程で大切な行為なのだろう。 それは、去っていくモノにとっても、満足感をもたらすはずだ。
子供時代の未来に対する希望と不安を飛行士に託すのは、『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』 のようであるし、 国を失う悲劇は、ユーゴスラビアを舞台にした『アンダーグラウンド』を連想し、 失う世界の悲しみは、日本の過疎地を舞台にした『萌の朱雀』を思い出す。 そこに、滑稽な『アメリ』のような描写でユーモアを散りばめる。
苦言を呈すと、後半、やや、メロドラマな展開が安っぽく感じられるのだが、 政治的背景と上手くミックスされることで、丁度良い加減ではある。
日本では、アイデンティティを確認出来るほどの国家的価値観は希薄だ。 また、馴染みの深いハリウッド映画も、フィクションを前提にした空虚感が伴う。 反対に、強烈な国家的アイデンティティによる束縛のみが 国民の生き甲斐であった旧共産国家が、 突然、国としてのアイデンティティを放棄したならば、 当然、混乱は内乱に及ぶこともあるし、 西側の「自由」を不自由と感じる国民も多かっただろう。
東西ドイツは、外から見ている限り、平和な合併にしか見えないけれど、 家族の視線にまで下がれば、合併がもたらした困惑はあっただろう。 そんな困惑に満たされたこの作品自体は、見る者に共感をもたらす程、 きちんと整理・計算された作品に仕上がっている。 受け入れやすいドラマ性と緻密な描写とで、 重いテーマへ自然に思いを馳せらせるこの作品、見て損の無い一作。
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