[コメント] ミレニアム・マンボ(2001/仏=台湾)
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その恋人とは別れたことが最初に語られ、その後には「きみとぼくは世界が違う。きみはぼくの世界におちてきたんだ。だから、きみはぼくを理解できない」という彼の言葉が独白のなかに引用される。つまり、回想されるのは、「理解できない」という現実になった予言を生きたその時間である。決して実の結ぶことのないこの時間を映画は過去となるべきものと語りつつ最後まで否定しない。
中盤で唐突に、しかし、音楽が静かに流れるままなされる夕張への移動、そしてアパートへの帰宅。おそらくここで夢とフラッシュ・フォーワードの区別はないのだろう。そもそも、この映画にフォーワードもバックもないのだが。10年後から語られ、やはり夢とも未来(といっても、ここではやはり過去の一部か)とも区別のつかない夕張で幕を閉じる。
独自の時間と同時に、独特な地理を感じさせる作品だ。映画の冒頭には、大陸で国際大会に出場して英語で書かれた賞状を持ち帰ってきたマジシャンというのが登場する。その席を祝うために持ち出されながら不発に終わる「中国製」クラッカーの粗悪さに笑い合うところに不思議と邪気はない。一方、全編を通して、登場人物たちの着ているTシャツの上には「ARMY」「U.S.NAVY SEALS」といったアメリカ(軍)を想起させる文字が時折チラつく。そういえば、本作でのガオ・ジェと同一人物と見てよいのか、『憂鬱な楽園』でも、日本で刺青を彫ったというヤクザ者のガオ(ガオ・ジェ)が、上海での成功を夢見ながらも不安を抱きなかなか出発ができず、そのことに気をじらす女から渡米話を持ちかけられると「英語ができない」と聞き入れない、そんな地理が会話のなかにうかがえた。もちろん、こうした些細な描写に態度表明めいた「政治」を読み込むのは過剰だ。ただ、台湾で「未来」や「過去」を語ろうとすれば、(アメリカの存在を含んだ)東アジアという歴史的な空間と無縁でいられない、それだけのことだろう(よく考えれば、なにも台湾に限る話でもないと思うが)。しかし、これらはみな10年前の話だという。「彼女」について語る声がどんな現在(2011年!)にいるのか、映画は決して語ろうとしない。『2046』でのウォン・カーウァイがそうであったように、未知への予感を孕んだ錯綜する時空のなかにのみ東アジアの混然とした「現在」が垣間見えるらしい。
映像として個人的に目を引いたのは、酔ったスー・チーがヤクザ者ガオのマンションの玄関に入る場面。監視カメラを利用して、室内/室外をワンカットで撮る、という、ともすれば奇を衒っただけの浮いた映像になりかねないショットを自然に見せるあたり、地味ながら、なんというか腕の立つ映画だけに許される芸当(ちなみに、そのあと、ガオが戻り、開いたままの扉から慎重に部屋へ入るときには、編集のお手本のような鮮やかなカットの切り替え)。オープニング、エンディングについては言うまでもない。
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