[コメント] 秘密の花園(1993/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
単にフォトジェニックな画面設計が為されていないというのみならず、必要な所で必要なものを撮っていない印象を受ける箇所も幾つかある。鑑賞中に気になった細かい所は措くとして、観終えた後も気になるのは、メアリーの叔父(コリンの父)が彼女を見て、「目が妻(メアリーの母とは双子)とそっくりだ」と驚く場面。メアリーとカメラの距離がありすぎて、彼の言う「目」がよく見えない。あからさまに目に寄れとは言わないが、短いミディアム・ショットにしてしまうのでは、叔父の心境が伝わらない。これならむしろ、この言葉をかけられたメアリーの主観に寄り添ったシーン作りにした方が良かったのではないか。
また、ドラマ構成という点で最も疑問を感じるのは、子供たちの手で、庭園に草花の生命が増えていく過程があまり見えてこないこと。特に気になるのは、メアリーが植えた球根が、植えたそばからニョキニョキと根を伸ばす(微速度撮影で撮られた成長過程)場面。この慎みの無さには呆れ返る。庭園の他の植物も、種を蒔いて雨が降れば即座に百花繚乱、といったインスタントな咲き乱れっぷりなので、メアリーたちが時間をかけて生命を育て上げることによる感動といったものは皆無。
まるで時間内に収めようと追い詰められているかのような忙しないカッティング、台詞の応酬は、映像の流れる時間そのものから何かが醸し出される余裕を排除してしまう。病弱なコリンが自分の脚で立ち上がる場面は、庭園の生命が彼の後押しをしたような、美しい光景ではあるし、彼やメアリーと同じく母親から離された子ヤギが、コリンと同じように覚束ない足どりで立っている姿なども感動的な筈なのだが、ベルトコンベアー式とも言えるほどに次々と先を急ぐ編集のせいで、こうした良い場面にも説明的な印象を感じさせられてしまう。
冒頭の、メアリーがインド人の侍女に着替えをさせてもらう場面は、テンポの良い音楽と静的な画面の対比が巧みで期待を持たせるが、終盤へ向かうほどに、繊細さを欠いたぞんざいな演出に失望させられた。ディコン少年の、不潔さを感じさせない程度に土に汚れた感じや、彼の姉である若いメイドの天真爛漫な愛らしさ、彼女と対照的に偏屈なメアリーとの遣り取りの愉しさ、メアリー以上に我儘で依存的なコリンとの出逢いが、彼女本来の明るさや活発さを目覚めさせる様子など、児童文学らしい美点も随所に感じられるだけに、詰めの甘さや大雑把な処理が残念で仕方がない。コリンの父も終始弱々しい表情を浮かべるだけで、大人の男性としての内面の葛藤などが感じ取れない。彼が子供たちの怪しげな呪文で旅先から呼び出されてしまう辺りなど、彼が物語上の単なる駒でしかないことを如実に語っていて、虚しい。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (1 人) | [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。