[コメント] 下妻物語(2004/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
キャスティングでくせ者を山盛り集めて、期待させておいて肩すかしなのも、どこか石井克人的。特に樹木奇林の無駄遣いっぷりはまさに致命傷。
人間味の感じられないあざとい演出と映像に、アクの強い出演者がロールプレイのようにからんで期待される役割を淡々とこなしていく。
そして、これでもかと挿入されるベタなタイアップ。
例えば、ヤマハから金をもらっておきながら「スポーツ心臓」だなんてブラックジョークにしてみたり(『ロボコップ』)、ピザハットを「世界で唯一のレストラン」なんて設定に落としこんでしまう(『デモリションマン』)ような遊びはまるで見あたらない。
ジャスコはあくまでもジャスコだし、たかの友梨シンデレラコンテストにしてもベタベタ。スポンサーをスポンサー様に奉っているだけで、そこには何の遊びもない。そのへんに、CM屋の馬脚が出てしまっている。
本当に映画が好きな人ならば,金を引っ張るためなら何でもアリというなりふり構わずの姿勢を、安易に認めるべきではない。
映画制作者が本来テレビに対して持っているアドバンテージというのは、目先の数字(視聴率)や、スポンサーに唯々諾々と従わないプライドでは無いのか?
ジャスコネタに喝采してしまうのであれば、映画を映画として認めず、一過性のネタとして消費してしまうだけだ。
映画は政治プロパガンダやデマゴーグになるべきではないように、私企業の単なる長編PVにはなるべきではない。
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そしてまた、中島哲也の脚本が、妙に「良くできた」ホンであることが、これもまたあざとい。
たしかにとてもよくできた脚本だった。シークエンスの展開、キャラクターの対比や対立の構図。バラバラの線がだんだん収束してきて、そして……といった盛り上げかた。
この脚本は、とにかく雑誌「シナリオ」や「ドラマ」、あるいは、専門学校の「シナリオ講座」的に“正しい”脚本なのだ。
もちろん、正しいものは正しい。間違ってなんかいない。でも一方で、そういった“正しさ”に思い入れを持つのは難しい。
例えば、手元にある「ドラマ」では、『隠し砦の三悪人』のシナリオがいかにすばらしいか、シークエンスの設定が絶妙か、なんて話を書いてあるのだけれど、そんな正しさだけが★5とか★4なんて評価に結びつけられるべきじゃないだろう。
しかし、その正しい脚本にしても、主人公に二度訪れる重要なシークエンスの両方で、解決策を徹夜仕事に求めてしまうのような安易さを持っているし、『模倣犯』で「アケミ」役だった小池栄子を「アキミ」にしてしまうようでは、あまりにもうすっぺらい。
元々、中島哲也その人がうすっぺらい人なんだろう。プレスシートの自分のプロフィール欄には「バスト90センチ、とでも書いておいてくれよ」なんてことが書いてあった。
土屋アンナの「鼻にタバコ」に敬意を表して+★1、結果★2
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