[コメント] 東京原発(2002/日)
現代日本の脇役名鑑〈中年篇〉の様相。周囲の知名度と比べると菅原大吉と綾田俊樹の扱いの大きさは少々マニアックか。ともかく女優が吉田日出子のみではチト辛い。映画が時代や社会を映す鏡だというのは一面では真理だろう。要するに、行政分野における女性進出の遅れがこの映画から女優を奪っている。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
伊丹十三か『12人の優しい日本人』から巧みさを抜き去ったような「面白くてタメになる」前半部が私には苛立たしい。映画はもっと生理と感情に訴えるものであってほしい。もちろん、私たちが知っておくべきこと、控え目に云っても、知っていて損はないことが語られているとは思う。それを語るに映画というメディアを用いることの意義も認める。だからこそ、もっと劇映画の特質を踏まえた上で撮ってほしい。
たとえば、都職員を除いたキャラクタの配置に難がある。映画はおそらくほぼ全面的に綾田の言説を支持しているのだろうが、その彼をこうも胡散臭く造型してしまうというのはどういうわけか。反原発の見地から云って最も悪役たるべきは益岡徹だが、その飄々として無責任な軽さがキャラクタ論的にはむしろ好ましい印象を与えてしまう。核ジャック犯の少年は動機が不明瞭で、また馬鹿すぎるために、彼もまた悪役を担えない。悪役不在の状況を補償する手続きも欠いているので一向に活劇は起動せず、演出家はタイムリミットと導線切断の選択制を導入することによってスリルを捏造するしか術を持たない(映画に即する限りにおいては「真の悪役は原発政策に対して傍観者を決め込む都民/国民である」という「高尚な」言説を導き出すのも不適当でしょう)。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (1 人) | [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。