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[コメント] パッション(2004/米)

この映画は、新約聖書に少しでも親しんでいることが鑑賞の第一条件となっている。さもなくば、起承転結の「転結」の部分だけを見せられたような気分になるのは必至だ。その宣伝は映画会社の義務だろうに。(5月10日一部改稿)
水那岐

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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自分は中学生ごろ、洗礼は受けないけれど少しだけ聖書の通信教育を受けたことがある。きっかけはというと、『ベン・ハー』や『十戒』を観た影響というのだから情けない限りだが、やめてしまったのも「キリスト教では自慰は罪悪だから」という、青春期だったからとはいえ負けず劣らず情けない理由からである。それはともかく、おかげで福音書の部分くらいの聖書についてはなんとか理解している。

だが、キリスト教に触れていない日本の大部分の観客の目には、この映画はどのように映るだろうか。推測なのだが、「可哀想な話」「残酷な話」くらいにしか見えないのではないだろうか。なにも蔑んでいるのでは全然ない。この映画自体が、キリスト教についての教養が必要だと謳っていないのが問題なのだと思う…少なくとも日本においては。例えば、十字架上のキリストが「父よ、なぜ私をお見捨てになるのですか」とつぶやくのを聞くと、芥川龍之介の小説よろしく「なんて情けない救世主か」と思うのが当然だろう。しかし、これは旧約聖書「詩篇」よりの引用であって、その後の「神よ、我が身をあなたの手にゆだねます」まで続いているのだ…などと聞くと頭がこんがらがる人が出てくるだろう。当り前だ。これはキリスト教徒のための映画であり、それ以外の人間は相手にしていないからだ。

そういう映画の性格を傲慢とは書かない。メル・ギブソンはそれが常識である国以外のことを知らないからだ。でも、そういう性格の映画なのだとあきらめて観ても不親切な映画であることに変わりはない。われわれ非キリスト者もなおイエスを偉人として認めざるを得ないのは、宗教…この場合はユダヤ教を世界的に通用するように解釈し直した才覚ゆえであり、また学のない庶民、あるいは律法に背いて生活せざるを得ない俗人にも救済の道を開いた先見性ゆえである(その意味では法然や親鸞に近い存在と言えるだろう)。決して「受難」によって全ての人間の罪を肩代わりしたためではない。そういう意味では受難の端々にイエスの説法をサンドイッチしてゆくくらいのサービスが欲しいところだが、ギブソンはそれをしてくれない。看板に偽りなく、ただ受難の描写が続いてゆくのみである。

長くなってしまったので、自分としての率直なこの映画の感想で締めることにしよう。「聖書がよく理解できない人のためのおさらい映画」にはなっていない。話題になった残虐シーンは、ホラー映画に慣れている人間からすれば見慣れた風景である。グリューネヴァルトの描いた磔刑図だって負けず劣らず惨たらしいが、これを観てショック死した人の話など聞いたことはない。描写力や演出力は大したものかも知れないが、解りきった聖書の場面をただなぞったのみであり、これ一本だけで感動はとてもではないが呼べるものではない。観ていないが、『偉大な生涯の物語』のほうが映画としての体を成しているのではあるまいか。映画はカメラや美術だけではない。総合芸術だということを考えてくれれば、自分も上映中絶えず感じていた言い知れぬ苛立ちを感じずに済んだのだが。

(評価:★3)

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