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[コメント] みなさん、さようなら(2003/カナダ=仏)

「社会主義者の最期を、資本主義(金)の力で安楽のうちに見送ってやろう」という構図の傲慢さがイヤだ。
くたー

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







・・・ということが発端となって、果たしてこの映画は何を描きたかったのだろう、ということをあれこれ考えてみました。

金で何でも解決しようとしたり、下ネタがことごとくつまらなかったり、親子の確執の根深さや葛藤が伝わってこなかったり、いろいろ細かい不満はあるのですが、ひとまず置いたとして。一方でこの映画は、「金では解決できない何か」を描いた映画でもある、と思います。

その何かとは、「消えてしまう」ことに対する恐れ、無力感。友人に囲まれて昔語りでもして最期を送りたいという願いや、自らの仕事に「やり残したことがある」という後悔は、この世の歴史の中に、誰かの心の中に残りたい、という切なる願望の表れではないでしょうか。

しかしこの映画はそれを、ある種の諦念のうちに描いている気がします。最後の最後に親子が和解したところで、息子にできることと言えば、「安楽のうちに死を迎えさせてやる」こと位なんですから。金の力を持ってしても、決して抗うことができない「死」。それを描いていることで、(ギリギリのラインですが)資本主義の傲慢も許せなくもない、と思えたりもします。結局この世にあるもので、万能なものなど何もないのですから・・・。

しかし、そのことを説得力を持って描けているかというと、どうも個人的にはイマイチという気がします。あれこれ考えたトコロで、言いたいことのトーンはやはりぼやけているし、何より違和感を感じるのは、「金の力」と「人と人とのつながり」がどうも同レベルで描かれている気がしてしまうのです。

物質的な充足よりもメンタルな部分が満たされること、「金で買ったモノ(や人)」よりも「心から心配してくれる大切な友人」、みたいな描かれ方がされてないので、主人公親子に好感を持ちきれないのです。個人的にどうしてもこの映画を好きになれない一番の理由は、結局はそこにあるのだと思います。

(評価:★2)

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このコメントを気に入った人達 (4 人)鵜 白 舞[*] づん[*] ペペロンチーノ[*] パッチ

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