[コメント] みなさん、さようなら(2003/カナダ=仏)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
「幸せに死にたかったら息子を大金持ちに育てよ」という教訓話。
あるいは、
エロと放蕩の限りを尽くした悪徳オヤジでも「死にそうだ」とさえ言えば、別れた愛人も泣かせ続けた家族も皆あっさり許してくれ(それも気に入らない愛人や文句言う仲間の妻は排除して自分のお気に入りだけの馴れ合いコミュニティーを形成して)幸せに死ねるという、「この世には神も何もあったもんじゃない」という傲慢な話。
あるいは、
正妻との間には大変出来のいい息子と大変出来のいい娘が都合よく産まれたけど、愛人達との間には都合よく一切子供は産まれず、遺産相続等々の問題も発生しなくてよかったねぇという「浮気する時はちゃんと考えて!」という避妊具会社のCM。
だいたい、金で雇った見舞い客(教え子)という真実も知らないまま死んでいったこのオヤジは本当に幸せなのか?そんな話が許されていいのか?
どうやら、父親を助けるためだったら違法ドラッグに手ぇ出しても“美談”らしい。そこに注ぎ込んだ金がギャングに流れようがマフィアに流れようが、自分達さえ良ければそれでいいらしい。そんな話が許されていいのか?
歴史家だかなんだか知らないが、病室にも入れないで廊下に病人が溢れ返ってる世の中なんかサッパリ関係なく能書き語りくさって、インテリ面した奴らはノンキだな。本当にそんな話が許されていいのか?いいのんかぁ?
この映画は、父と息子の物語でも家族の物語でもない。冒頭、延々シスターの歩く廊下から分かる通り“神との対話”に関する物語であり、延々語る無駄話でも分かる通り“歴史”に関する物語である。「蛮族の侵入」という原題から分かる通り、あるいは挿入される「9.11」の映像からも分かる通り、オヤジの語る歴史観こそこの監督が描きたかったことであって、息子も家族も本当はどうでもいいのだ。
そう思わなきゃやってられない。ムービーメールでしか娘を登場させないで「家族の物語」なんてほざいたら俺は怒るぞ。そこに血の通った人間関係を一切描かないで、携帯燃やしてガッハッハか?なんだそりゃ?
「離れていても家族は一つ」でも「神の不在」でも何でもいい。娘をこういう設定にした必然性あるいは映画的な意味を誰か説明してくれ。 俺には、歴史を語る上で最新のコミュニケーション手段を出してみたかっただけにしか見えなかったぞ。
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