[コメント] 西部の王者(1944/米)
確かに、そして後半は特に性急の感があり、現代の映画が(観客が?)要請するような精緻な心理ドラマは認められない。息子の死を責めモーリン・オハラと別れたジョエル・マクリーが、見世物小屋での切り返し一発で絆を回復してしまうといういいかげんさ。だがこの映画的説得力に満ちたいいかげんさこそが感動的なのだ。
最良の(クラシカルな)ハリウッド・スペクタクルが現出した中盤の戦闘シーンがこの映画の最大の見所であることは云うまでもないが、マクリーが黒板に書かれた礼状の文面の書写をする序盤のシーンだけで私はこの映画を全肯定したくなってしまう。しかも「先生」はシャイアン族の娘なのだ! まあ、中途でプロットに変更が加えられたとしか思えない後々のこの娘の扱いの半端さは大いに不満なのだが、しかしそれにしても西部劇における「黒板」あるいは「教室」はどうしてこうも感動的なのだろう。『シャイアン』、『リバティ・バランスを射った男』……。単に作家の力、なのだろうか。
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