[コメント] ホーリー・スモーク(1999/米=豪)
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設定が現代のオーストラリアであることが関係しているのか、ジェーン・カンピオンはいつもより少しリラックスしている感じがある。しかし、こういう映画にグサッと来て満点を付けざるを得ない気持ちになるのって、自分的にちょっと考えものではある。
娘と一緒にインドに旅行に行った友人が一人でオーストラリアに戻り、彼女の両親を訪ねてきてトラブルだと言う。そこでまず「お金の問題?」と聞く母親、パンツ一丁でビールを飲みながら娘の話そっちのけでオリンパスだのミノルタだのカメラ談義を始める父親。この俗物根性丸出しの両親の描写からしてもう堪らない。
インドでグルに出会い慈愛に満たされたはずのルース=ケイト・ウィンスレットは、友人と家族によって「カルト化されている」として、「ウソも方便」という手段でオーストラリアに連れ戻される。クルマの中でアラニス・モリセットの曲に合わせて歌いまくるが、これは世間では「自己チュー女子高生並みに勝手なフラストレーションをぶちまけているだけ」とも言われている曲。兄嫁はそこいら中の男とやりまくっているニンフォマニアで、ルースのために呼ばれた脱カルトのスペシャリスト=ハーヴェイ・カイテルに早速色目を使う。
こうした人物描写の積み重ねで映画は進み、いよいよ「荒野の対決」となるワケだが、ルースが「ハマった」グルなどは、あくまでまぼろし=ホーリー・スモークとして陽炎の向こうで揺れているだけだ。話の枠組みとしては『エクソシスト』(あれはイラクのシーンから始まった)あたりと似ているが、ポイントは全然違うからそういう先入観で見てしまうとおかしなことになる。「脱カルト」の話ではなく、ミイラ取りがミイラという話でもなく、そういうものに係わってしまう人たちが持っている心の枷の話。Be Kind.
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