[コメント] 華氏911(2004/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
よくドキュメンタリーをどこまで映画と認めるか議論となる場合がある。
日本でもたくさんのドキュメンタリーが映画として認められ、そして評価を得てきた。
『全身小説家』もそだった。あれが映画なのか。私は映画だと思う。
『ゆきゆきて神軍』。あれも映画なのか。私は間違いなく映画だと思う。
『人間蒸発』。これは正にドラマだった。ありえないドラマだ。しかし今村昌平はそれを全て計算の中で手中に入れた。そしてあのラスト。私はあれこそが映画。あれこそが誰も良きできないドラマ。観客が知ることのないラスト。十分映画として成立している。
このマイケル・ムーアの新作ですら、映画というのか?
この映画はまず、全編に悲しい悲しい音楽が流れ、悲しみを誘う。映画のタイトルがフランソワ・トリフォーの、あのヌーヴェルヴァーグのあのドラマと重複するところが憎い。しかし、こちらは極めて悲しい音楽が全編を包む。
そして冒頭、絶叫、阿鼻叫喚の巷、その音、声、悲しみ、それらが真っ暗な画面の遠い遠い奥から聞こえてくる。
中盤は省略するが、この人々の受けた悲しみが一国の大統領の存在の情けなさに次第に変わってゆく。この情けない大統領を選んでしまったアメリカ国民としての悲劇。その悲しみ、情けなさとでもいおうか、悲しみの矛先が全く違う方向へ向かって行く。
これこそがドラマである。
真実ではないかもしれない、という点がドラマである映画だ。これをドキュメンタリーにしてしまっては、作者の目的は達成されまい。これがドラマであるからこそ、映画として君臨することができるのだ。
カンヌは見事にこの映画にパルムドゥールを与えた。しかし、映画そのものはカンヌであれなんであれ、世間の評価を超越して現実を凌駕している。
まるで「クソくらえ!」とでも言うように・・・
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