[コメント] 華氏911(2004/米)
超大作のスケールでZ級映画より劣悪な茶番がまかり通る現実――こういうのを見たら、本当にそれが現実だとしたら……と、一度ぐらい想像してみるのだ。
本当にこれが現実だとしたら、しかし、何も変わらないかも知れない。ある人は自らの常識が覆されるようなバカげた事実をうまく飲み込めないだろう。ある人はどこかで気付きながらも、信奉してきたものを否定できずに妄信を続けるだろう。ある人は大して考えもせず、「現実ってそんなもんだよ」と体よく開き直るだろう。ある人は政治の現実、力学まで踏まえた上で、その中で生き延びねばならない自分の立ち位置をリアルに想像し、静かに現実を受け入れるだろう。また、ある人は受け入れることをよしとせず、無謀にも立ち向かうだろう。そして、ある人は思いがけず被害者となり、やむにやまれぬ反旗を強いられるだろう。結局の所、我々は混沌とし、その混沌にまみれて真実は見えなくなるのだ。その混沌に、この映画に向かう我々の混沌は極めて似ている。
超大作のスケールでZ級映画より劣悪な茶番がまかり通る物語――こういうのを見たら、作り話だと割り切って、とりあえず呑み込んでみるのだ。
だが、その作り話の登場人物達はあまりにリアルだ。巨大な事実を持て余す人々、妄信に沈む人々、開き直る人々、現実を受け入れる人々、立ち向かう人々、被害者となった人々――そう、我々がそんな現実に直面したなら、まさしく彼らのように振る舞うだろう。この映画には、その時、そうなるであろう我々のモデルがまるごと納められている。だから、見ていて、怒りが燻るし、それ以上に悲しい。いや、悲しい以上に哀しい。人がそんな茶番で踊らされうる、踊らされたとしてもどうすることもできない限界、絶望的な――。そんな現実に追い込まれる可能性と、そんな可能性が幾度も実現してきた歴史の影を厳然と示唆している。
それはムーアが意図したことではないかもしれない。ムーアはこれを全て事実であるとして一歩も退かず、ブッシュ再戦阻止という政治的な目的を掲げている。だから、映画も情報としての是非を第一に問われることになる。だが、それとは別にこの映画、この物語が言い当てる我々自身の混沌と限界、それに関して想像し考えることの方がよっぽど重要である気がするのだ。
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