[コメント] 戦場よさらば(1932/米)
ゲイリー・クーパーが、顔も映らぬ端役女優の脚から主役ヘレン・ヘイズの脚へと性的な関心を軽やかに転じて、メロドラマ的至高の純愛の三昧境にいたる流れの退廃的前衛性に酔う。意味よりも形を重んじた1920年代という時代の残り香が妖艶にかぐわしい。
凡そ本作は原作者ヘミングウェイとも彼の作品の芸術性とも関係がない即自の存在として秀作足りえている。或る細部のイマージュが別の細部のイマージュを惹起していくプロセスがあらわかつ堅固で、そうした堅牢な生地の上にデコレーションケーキのクリームのように甘いメロドラマがかぶさっているというすさまじい映画だ。トーキー映画の衣をかぶったサイレント映画というのがこの映画の正体である。
私が知る限り、主演女優の顔を丸ごと手鏡の後ろに隠してしまう傍若無人のショットをこの映画以降どんな映画作家も真似はしていない。真似をする気を殺ぐ程の独創性が、この映画にはある。
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