[コメント] モンスター(2003/米=独)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
映画を見ていて思ったのだけど、ブルーカラーだかホワイトとラッシュだかどっちがどっちか良く知らんが、彼らの無知さ(そういうのは『アメリカンヒストリーX』で描かれた極端な思想や先の大統領選にみられる、政治活動に野球用語を盛り込んだ奴に好感を抱いて指示する等々で垣間見れる・・・のだけど、正直彼らを「無知」として非難しよう、とは俺は思わない)や人種/階級差別等々は、映画で描かれているのは誇張かもしれないけど、事実として根強く残っているのだろう。そんな糞社会で育った人間が無知になる事に対して「奴らは無知でバカだ」と言うつもりは毛頭無い。
本作でアイリーンを大幅な肉体改造とブスメイクで演じたシャーリーズ・セロン自身、かつて父親(母だっけ?)が目の前で自殺すると言う重い過去を背負って生きてきて、「私もこうなったかもしれない」と言うある種の共感めいた物によって、ココまでの根性を生み出した物と俺は想像している。
要するに俺は、アイリーン自身を誰も攻める事は出来ないと思う。劇中でインテリ連中が仕事をしようと就職活動しているアイリーンを嘲笑した様に。
いや、コレは全ての犯罪に関して俺は思うのだけど、例えば痴漢やレイプは、行為そのものは許すべきではないし、それこそ糾弾されるべきではある。そういった物を例えば法律的な立場とか、そういった観点から非難する事は決して間違った事ではない。それは、例え人為的に規定された枠組みであろうと、月並みな言い方をすれば“社会のルール”って奴だからだ。
但し、誰しもそうなる可能性を秘めている事を自覚すべきだと思う。誰にだって性欲はあるから、そうなる可能性もある、と。そう考えた瞬間、彼らの全てを否定出来るだろうか?(肯定も出来ないけど)
ブルーカラーに生まれた人間を「無知」と見下すのは、変な比較になるけど、教育を受けて居ない人に対して「無知」と罵るのと大差ない事じゃないかな、って。別に隣人を愛せだなんてバカげた事は言わないけど、犯罪行為を肯定せずとも、そういった狭い倫理観で単純に否定できる物だろうか。少なくとも犯罪心理を。
そう考えた時、誰だってそう陥る可能性がある、と考えた時、セロンの演技の意味が分かってくるんじゃないかと思う・・・けど、クリスティーナ・リッチも評価されるべきだと思うよ>オスカー
◇
俺はこの映画を見終わって、しばらく感想が浮かばなかった。実際のアイリーンはどうだか知らんが、映画で描かれているアイリーンに対し「可哀相」と言う月並みな表現も、しかし「モンスター」(当時の新聞はコウ呼んだそうだが、劇中では観覧車の愛称になってますね)と非難する事も出来なく思えた。
それはこの映画の脚本のポジションが非常に良い位置にある事を示して居ると思う。
決して安易な同情的立場に陥らず、しかし批判的な立場にも陥らず、ただ淡々とアイリーンを描く事で観客に事実を提示する。だから、この映画(で描かれた彼女)に月並みな擁護や同情も批判も必要なく思えた。
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所謂ホワイトトラッシュ言う奴。元は中産階級(違うか?まぁ悪くない家庭か)に生まれ、“アメリカンドリーム”を信じて「いつか私にもマリリン・モンローみたいにスカウトが来る」と近所のガキドモにオッパイを見せていた夢見る少女が(半ば)“必然的に”破滅したその先に訪れる“客”ドモは、糞ったればかりだった。そんな中、彼女の中の希望はドンドン薄い光になっていき、最後にゃフェラチオで稼いだ5ドルになっている。コイツが彼女の現実だ。その対角線上にセクシー美人女優として金稼いでいるシャーリーズ・セロンが居る。コレが本当の現実だ。
そしてアイリーンの元に訪れるのは下衆野郎(に彼女は見える)奴ら。
そんなある日レイプされかけ“生きる為(ココの地点では「正当防衛」)”に人を殺す。
その内、クリスティーナ・リッチに半ばそそのかされる形で次の殺人を犯していく。否、そそのかされているのではなく、コレが彼女の落ちる所まで落ちてしまった故の、悲痛な叫び声(=愛)なのかもしれない。
しかし、彼女の殺人は次第に金目的に変わっていく。それでも最初の内(例えばデブの客が「俺初めてなんだ」と言っているのを見て手コキで済ませてあげる、とか)は相手を選んでいた。ここでも彼女は“生きる為”に人を殺している。だが、既にココで彼女の中での倫理観は既に崩壊しかけている。正当防衛が強盗殺人に変わっている時点で。いくら相手が(彼女から見た)下衆野郎でも、金品目的の地点で、当初の“生きる為”が崩れているのは明白だ。
そして、最後の被害者を殺す際に命乞いされ、「神よ・・・」と泣きながら射殺するシーンに、彼女の倫理の崩壊と「もう戻れない」という絶望感=自覚を見る事が出来る。ソレは警察官を殺した時に、彼の妻が下半身不随で、そのために娼婦を買っていた事を知った時から、加速し始めていた。しかし、彼女自身にその崩壊を止める力はなく、次々と雪崩式に崩壊を繰り返していく。ソレを罪だと知りながらも、愛だと信じ込んで誤魔化しながら罪を重ね、自らを正当化する。
殺人を積み重ねながら、自分の中にあった倫理が次々と崩壊していく様は悲痛でたまらなかった。
◇
ラストの裁判シーンでは思わず涙が出た。そして、彼女の「信仰は山をも動かす? 勝手にほざいてろ」の箇所で、もはや俺の思考は完全に停止していた。
愛(=夢)と言う糞ったれな感情を得、信じたばかりに訪れた崩壊。しかし、愛ゆえに訪れた倫理の崩壊への歯止め(=救済)。
「なぜ愛を知ってしまったのだろう」
誰が彼女を否定できる?誰が彼女を肯定できる?
紙一重の現実がそこにある。
と、日本の平和な家庭に生まれたボンクラの俺は思い、劇場を後にするのでした。無言で。
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