[コメント] ハウルの動く城(2004/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
老化という自活できぬ程の過負荷を負うことによって、 見ず知らずの他人にまで平気で縋る事に抵抗を感じて 居られなくなる。 悪知恵が働くようになり、平気で嘘も付けるようになる。
そして、
怒り ≒ 生きる活力
生きる活力 ≒ 好奇心
その三段論法的な認識で、何時もと同じものが美しく感じられる。と。
母親との和解もそこに真実などは無くとも良い。 それが偽りでも打算でも、自分の側から見て美しく脚色できれば、 それでいい。自分を抑圧してきた起源たるわだかまりも、 そのようにも解消できる。自らの切り開く未来とは何ら関係無い。
過去との決別と未来への歩み。
しかし、その未来も、過去との連結を要する。 そこで持ち出されてた、あの「城の扉」の先に見た過去のビジョンも、 何ら事実性を担保しない。 幻とも幻想とも妄想とも解したってかまわない。今、目の前の恋に 過去から約束されていた意味を見出すことさえできれば…。 それ、そんなものこそが「運命」による出会いの真実。 そんなこと百も承知の上でのスピリチュアル。
生きることは悪魔の手引きにより開かれる(カブ)…という皮肉も。
怒りというネガティブな感情は「努力」という言葉にニュアンスとして伴っているように 生きるエネルギーの大部分を占めている(怒≒努)。
…とはいえ、 おそらく「美しい」と一度も言われたことのないであろう大多数の 世の女性諸君に、この映画のような世の認める才色兼備な異性に、 見初められるなんて事は、まず無いことであって、それを処方する この映画が、大衆にとって処方箋足り得ているのかは、大いに 疑問でもある。
対して、ハウルは「千と…」のカオナシでもある。臆病なアウトロー として描かれている。ひきこもりなオタクの衒学的才能を魔法と置き換え、 自分だけが見出した才能として悦に入るという読み方のできる余地を 残してはいる。その意味で影響…というか後押し…を時代に刻んでもいる。 アキバの肯定のような形で。アイドル崩れもメイドとしてチヤホヤされもする。
ともかく 全体として、好ましからざる社会情勢を、好ましからざる側の立ち位置 から見た世界を描いている。戦争も実害さえなければ三文記事な感覚で。 いや、心象描写を強調するエッセンスの一つ一つであって、漫画の欄外に 舞い散る花などと変わらない小道具。それらにストーリーを左右する必然的 意味は無いが、心象を盛り上げる最適の意味があるのだ。 偶々プライベートで不愉快な時に戦争報道を聞く。それがたまたまであっても その不条理に同感し、気持ちを盛り上げ、同時に当事者の心象に得手勝手に 自分の不愉快を投影しもする。
ちなみに、ゲド戦記のキャッチ「人間の頭もおかしくなっている」は、 完全に逆の側に視点を飛躍させている。 正常なつもりの人間が世の不正常を問題視するという。
-=-=-=-=-=-=-=- 追記
寝ている間に姿を戻したのは、ハウルを思って夢を見ていた…って ことなのでしょうね(カルシファーの前でのイビキ寝との対比)。
-=-=-=-=-=-=- 追記というか
荒地の魔女の呪いってのが、あの時代の現実には「負け犬女」ってワードの流行そのものとも見立てられますよね(未婚・非婚≒血統の流れからの離脱者≒石女≒老女)。誰が発した訳でもなく広がる。その要因は仕掛け人の思惑以上に当人らの潜在的な自覚にあるわけだ。呪いと呪われる者の関係って、やっぱりそんなもんでしょう。
しかし、その結果…一時は不愉快になり、落ち込んだりもしただろうが…世間や他人からそのように認じられても、他人からどう思われようとも、多くの「負け犬女」達は、それを堂々と自称し、かつ、楽しげに今を生きてらしゃる。世間体・偽りの企業風土のような価値観の支配下から未だに抜け出せずに、束縛されている世の男性諸君。よくある映画批評のように論理的でない…と、ある一元的価値観を元にした定型的な批評形式を用いて否定するばかりでなく、ほんとはもっと見習うべき所があるのではありませんかね?
-=-=-=-=-=-=- 追記<070908>
他記事でシンデレラへの言及があったので。
ちなみに、私はシンデレラの物語を恥辱に耐える物語…としてではなく、アンチエイジングの物語として読むべきだと考えているのでそのような反論はむしろ肯定になるんですよね。 灰かぶりは美白であり、ボロ(露出でなく重ね着)を着てるのは、紫外線対策。動物との戯れは白雉やイジケの表現ではなく、運動を欠かさない健康的で森林浴なアウトドア描写として。姉たちはそのようなアンチエイジングを怠ったが故に早々に老け、王子の適齢期に脱落した。この解釈の上ではガラスの靴などの小道具は物語の核心ではない。
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