[コメント] オールド・ボーイ(2003/韓国)
映画を見終った人むけのレビューです。
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「―×→」とは、主人公が拉致される公衆電話前の俯瞰ショットで映し出される道路標示。韓国の道路標示などで意味を調べてようとしたが、うまく該当するものが見当たらない。多分「通り抜け禁止」とか「直進禁止」みたいな意味なのだと思う。しかし、その意味が何であるにせよ、「その日その日を適当に過ごしてきた男」(主人公の名前の由来)の定まりのない「平穏」な日常(「―」)の時間が断絶され(「×」)、断絶を経て始まった異質な生が、何かを目指す(「→」)という展開、そしてこれから起こることの不可逆性を暗示した図解であるように思われる。少なくとも、これを何かの象徴であると思わせる(思い込ませる)深みがこの作品にはある。
記憶=歴史=罪は不可逆だが、対処療法として、捏造や忘却といった手段がある。「×」は物語上、オ・デスの拉致と監禁の15年を指すと言えるが、無数の「悪さ」をしてきたらしい(日記を書くうちに思い出していく)主人公が無意識に(あるいは身を守るために意識的かもしれない)行ってきた「忘却」を指すようにも見える。忘却を重ねた男は「その日その日を適当に過ごし」、見かけ上は無難に生きている(冒頭交番シーンでのブヨブヨ腹!)。攻撃されるべき人間、歴史を指す「―×→」。
その忘却という行為が復讐者によって攻撃され、ラストで致命的に否定される。オ・デスは、忘却が成功してもしなくても、罪を犯し続ける。「継続」という歴史の残酷を指し示す「→」。その時男は「オ・デス」を名乗ることは出来なくなる。「終わり」よりも残酷な「続く」という結末。
一方「不可逆」というテーマに反するように、憎悪に駆り立てられた肉体=暴力が15年の監禁に逆行して研ぎ澄まされ昂進していく、オールドボーイ。「復讐は健康にいい」という極めて優れたダイアログ。壁の中と外で凝縮・拡散する殺意。そして壁の破壊の先にあった、暴力の馴れ合いという共犯関係。罠を張り巡らせて生き生きとする復讐者と、復讐の機会を与えられて輝くもう一方の復讐者の暴力。ほとんど互いなしに生きられなくなっているという奇妙(「鏡」というアイテムの効果的な多用。)。復讐の達成よりも過程を糧として生きがいを得ること。15年の監禁生活シークエンスに挿入されるテレビ映像には、南北朝鮮会談の和睦ムードから突如「憎悪を忘れるな」と言わんばかりに投下された9.11の映像が。被害者も加害者の境界線が失われて復讐者になっていく苛烈な戯画の中に、「国」とゼロ年代という時代の姿を読み取ろうとするのは穿ちすぎだろうか。
・・・まあつべこべ言わなくても面白いです。特に面白かったのはチェ・ミンシクのモノローグ。声質からリズム、中身まで、すっごく面白い。
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