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[コメント] ふたりにクギづけ(2003/米)

デイモンキニアも、自分たちの出生を呪うどころかとうに達観し、お互いを生涯の伴侶のようにさえ思っている。その兄弟愛はきわめて深く、片方の成功のためなら他方はどんな協力も惜しまない。…それは萩尾望都半神』とはちょうど逆のベクトルを向いているのが興味深い。
水那岐

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







半神』では、結合双生児の姉である、頭脳は秀でているが骸骨のような容貌の娘を主人公にしている。その妹は姉をはぐくむべき栄養分をほとんど吸収しているため、肌はなめらかで「天使のように」美しいが、頭は赤ん坊のままだ。そしてふたりの間柄は、誰からも愛される妹に対する、姉の憎しみをもって理解される。だが、ふたりの成長に従って、姉の摂取する栄養分だけでふたりの体を健康に保つことは困難になり、姉妹は病床に伏す。医者は姉の賢さを惜しみ、ふたりを分かつならば姉だけは生きられると助言し、姉は同意する。その結果、妹は栄養不良で姉のように醜くなって死んでゆき、姉はやがて鏡の中に妹と同じおのれの美しくなった顔を発見し、泣き崩れる。自分は妹をこの上なく憎んでいたのと同じように、誰にもまして愛していたことに気づくからだ。

映画のふたりは彼女らとは正反対である。性格は違えど彼らには外の世界に目指す目標があり、愛する人がいる。そして、彼らを繋いでいるのは皮膚と内蔵と幼い頃よりの絆だけだ。内蔵の手術の危険性を度外視すれば、ふたりがお互いのために別の個体に分かたれることに、なんの気遣いも要らない筈だ。 ふたりでひとり、であったがためにクイックバーガー店は繁盛し、またハリウッドと無責任な観客はかれらを引っ張りダコにしたわけで、切り離されたデイモンは調理の速さを誇れなくなり、またキニアはファンから見放される。だが、それは無理に「今までどおり」にいくと誤解したためで、やはり支えあってこその個人、という世の中の知恵を思い出せなかったためでもある。

普通でいいのだ。それを悟ったとき、兄弟は再び夢に賭ける気力を取り戻す。『半神』のふたりは分かたれても、繋がったままでも幸福はふたりのどちらかが独占するものだったが、この映画のふたりは肉体的に繋がっていても、分離していてもひとりであり、なおかつふたりなのだ。幸福は努力に応じて、普通人と同じにやってくる。そして、力を合わせれば気のあったコンビとして努力の倍加はそれに応じた幸福で報われるのだ。

などと書き連ねてきたが、このふたりと『半神』を較べて論じることにこそ愚かさがある、と指摘されれば押し黙るほかはない。これは、「単なるコメディ(これ重要)」なのだ。ハッピーエンディングを迎えて当然のお話なのだ。ひとを啓蒙する立場などに立たないのがファレリー兄弟のエラさであり、また多くのファンを持つ理由であろう。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)ホッチkiss トシ

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