[コメント] 昼顔(1966/仏)
主人公の持つ幼少時におけるトラウマに起因した性的コンプレックスを軸に据えれば、夫に対する妻としての劣等感に苛まれ、妄想へと逃避する哀れな女性の姿が浮かび上がる。
注目すべきは、夫の友人の存在である。例えば、紳士然とした社会的地位ある人々が娼婦を相手に堕落しきった姿を見せる中、彼が娼館で見せた品格の高さと娼婦たちから愛され、そして尊敬される姿はどうだ。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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終盤、夫が全身麻痺となる。主人公は夫の介護をしているのだが、その際夢を見なくなったと独白する。ここで既述のように主人公の妄想の原因を夫に対する妻としての劣等感に見るとすれば、この時点で主人公の夫に対する妻としての劣等感は消えていると言っていいだろう。しかし、これは劣等感の基礎にあった彼女の性的コンプレックスが克服されたからではない。それは全身麻痺となって介護を必要とする夫が、自分より劣位に立ったからにすぎない。
このような欺瞞を許さないのが、夫の友人である。彼は全てを暴露する旨主人公に伝える。仮に全てを暴露されてしまえば、主人公は再び夫に対する罪悪感や劣等感に苛まれることとなるだろう。確かに夫の友人が本当に暴露したのかどうかは劇中明らかにされない。しかし、暴露されたかもしれないという不安が主人公の夫に対する罪悪感と劣等感を掻き立てているのは明らかである。ラストの突飛な展開はその強力な証拠といえるだろう。なぜなら、このシーンには中盤のカウベルが鳴り響いているからである。つまり、主人公は再び妄想へと逃避し始めた、ということである。
この際、カウベルによって、無数の後悔とたった一つの贖罪に関するエピソードが観客の脳裏に甦る。そして考える。彼女は罪を贖ったのか。そもそも彼女に罪はあったのか。淑女たることもできず、堕落することもできなかった哀れな女性の姿がそこにある。
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