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[コメント] ミリオンダラー・ベイビー(2004/米)

好きな映画だから三度、四度と見直すと、弱い部分も見えてくる。この作品が傑作たり得たのは、脇役が不在だからだ。
shiono

**ネタバレ注意**
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2005年アカデミー賞の作品、監督、主演女優、助演男優賞受賞はまったくもって素晴らしい。イーストウッド、スワンク、フリーマンが、それぞれペアを作ったときに生み出されるドラマは何度見ても打ち震えてしまう。イーストウッドの演出は、力のある俳優を主役に据え、相手の能力を引き出していくやり方だ。相手役者の芝居を受け止めて返していく中で、役の掘り下げを促し芝居を煮詰めていく。

ただ、この三者が彼ら以外のキャストと絡むシーンになると、芝居場の弱さがあらわになる。具体的に感じたのは、スワンクの家族およびイーストウッドが通う教会の牧師のシーンである。

スワンクがイーストウッドを連れ立って郷里に立ち寄り、買ってやった家を母と妹に披露するくだり。母との不和、低所得世帯出身というスワンクの出自は十分表現されているので、初見ではさほど違和感は感じない。だが繰り返し見ていくと、母親のキャラクターがイマイチなのだ。演じるマーゴ・マーティンデールはニコール・キッドマンやメリル・ストリープらと何度も共演しているベテラン女優なのだが、脚本で作られただけの半人前のキャラのように見えてしまう。

DVD特典のインタビューでイーストウッドが語っていたが、異例なことに、ポール・ハギスの脚本は初稿のまま決定稿として使ったそうだ。撮影現場では、スワンクやフリーマンのアドリブを積極的に採用したとも言っていた。主役キャラの濃密さはこうして生まれたものだが、端役脇役は脚本どおり演じることが求められるから、脚本段階での掘り下げがなされていないと、この母親のように、何が何でも常に周りに不平不満を言う、人物の背景がわからないキャラクターになってしまう。話題だけで登場するスワンクの亡父や、イーストウッドの娘のほうが、想像を掻き立てられるだけ印象的だ。

ボクシングジムの若いボクサー、ジェイ・バラチェルとアンソニー・マッキーはよく描けている。脚本で描き込みやすい、テーマに即したキャラだから、フリーマンの胸を借りて伸び伸び演じているのがわかる。タイトル戦の相手ルシア・レイジェッカーは元プロボクサーだから役作り云々以前の圧倒的な存在感だ。

こうして見てきてもこの映画の魅力はいささかも衰えないが、イーストウッドの持ち味は一つの方向として見えてきた。脇役を脇役のポジションに置いたままで魅力的に見せる演出は不得手ではないかと思う。それは自ら脚本を書かないこととも関係があるだろう。撮影前の下準備を用意周到にやるタイプではないだろうし、嬉々としてロケハンをしたり絵コンテを描いたりする監督でもないだろう。モブシーンの仕切りも得意分野ではなさそうだ。これらの役割は信頼できるスタッフに任せ、主役級の演技者を主体に見据えたストイックな芝居の演出でその本領が発揮される。硫黄島プロジェクトの物足りなさもそのあたりにあるといえるのではないだろうか。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)ナム太郎[*]

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