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[コメント] スター・ウォーズ エピソード3 シスの復讐(2005/米)

本作に至るまでに営々と積み上げてきた事の上に立脚しつつ、その崩壊をも同時に行なう、半ば捨て身の作劇による荘厳な悲愴感。(シリーズ他作にも言及→)
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







冒頭の、戦闘機が飛び交う戦闘シーンの空間性からして魅せてくれる本作は、空間的、視覚的な演出によってドラマを描くという点では、シリーズ史上、初めて映画らしい映画になり得た作品と呼べるのではないか?例えば、特に印象的なシーンである、パドメ(ナタリー・ポートマン)とアナキン(ヘイデン・クリステンセン)が無言でガラス越しに街を見つめているシーンは、同じものを見つめていた筈の二人に生じた決定的な齟齬の表現として、必要充分な簡潔性を示す。ひょっとして、ジョージ・ルーカスにとっては、処女作『THX 1138』以来の「沈黙」による表現なのではないか?そういえば第二作『アメリカン・グラフィティ』は、全篇を歌で充たすという、「沈黙」とは真逆の演出だった。

薄暗さや闇、黄昏どきの画が大半を占める映像が、シリーズ中最もダークサイドな物語を視覚的に決定づける。それ故に、ライトサイドのジェダイ・マスターらが身を寄せる宇宙船内の白い空間が印象的。この暗い物語に於ける小さな光。飽く迄も小さなそれとして控えめに存在するからこそ光る。終盤の惑星ムスタファーのシーンでは、闇と溶岩の赤に染まる光景の中、宇宙船内の白い空間に登場するオビ=ワン(ユアン・マクレガー)の仁王立ちした姿が、凛々しくも悲壮。一方、アナキンがパルパティーン(イアン・マクダーミド)の部屋に入るシーンで、いつの間にか既に室内の装飾が黒で統一されている光景は、権力の中枢に巧みに侵入し侵蝕するダークサイドの冷たい知性を感じさせる。

悪夢に悩まされるアナキンがヨーダ(フランク・オズ)に相談するシーンでは、二人が窓から射し込む縞模様の光を受けている。その、光と影が交互になった画面が、ダークサイドとライトサイドの狭間で揺れるアナキンの立場を推察させる。加えて、CGキャラクターであるヨーダに、アナキン同様の立体的な存在感を与えている演出効果も見逃せない。

エピソード2で、アナキンが母の仇のタスケン・レイダーらを女子どもまで虐殺するシーンでは、実際に惨劇が行なわれる光景がきちんと表現されていない甘さのせいで、ダークサイドに堕ちかけたアナキンの心理描写の弱さを招いていたが、今回はその点でも及第点。聖堂でパダワンらの前に現れたアナキンに、エピソード1に於けるアナキン自身を髣髴とさせるような少年が「敵は大群です」と寄ってくる。そんな無垢な子らに向かい合い、ライトセーバーを伸ばすアナキン。ここで、エピソード2で見ることの出来た、ヨーダがパダワンらを指導する微笑ましいシーンが活きてくる。悲劇を描く為には、何も酸鼻な暴力を直接的に描く必要はない。破壊されてはならないものが破壊されるということが、一つのショット(=少年の眼前で刃を現す、アナキンのライトセーバー)に表されることで充分なのだ。

今回の敵役で気に入ったのは、グリーヴァス将軍(カイル・ローリングマシュー・ウッド)。ほぼ完全に機械化された体に似合わぬ咳を頻繁にすることで、独特な身体性を得ている。彼がオビ=ワンと一対一で対決するシーンでは、クローズアップされたグリーヴァスの目が生物的な造形を見せることで、彼が完全な機械ではないことが分かる。結局、僅かに残された生物的な部分である心臓に一撃を食らうことで最期を迎えることになるのだが、その死が火に包まれる形であることは、後のシーンでオビ=ワンと対決したアナキンが溶岩によってその身を焼かれる様を思わせる。また、グリーヴァスの、機械化された体や、呼吸が苦しそうな様子なども、機械化人間ダース・ベイダーの姿を予告しているかのようでもある。不利になるとその複数の手で蜘蛛のように這って逃げる様は、不気味であると同時に情けない光景で、手強さと卑怯さが共に滲み出ていて、好きなシーンだ。

新三部作のオビ=ワンは、貫禄に欠けること夥しかったのだが、ジェダイから奪ったライトセーバーを四本の手に持って襲いかかるグリーヴァスを倒すことで、並のジェダイ四人分くらいの強さを感じさせる存在にステップアップ。そして何よりアナキンとの決闘に勝利することでその貫禄は決定的なものとなる。勝負が決まる一撃に先立ってオビ=ワンは、溶岩の上に浮かんだ機械に乗った状態からいち早く陸地に跳び移り、未だ足場の不安定なアナキンに対し、自らの有利を宣告する。だがアナキンは、甘く見るなと攻撃の意志を示して跳躍したことで、致命的な一撃を受けることになる。つまりアナキンは、自らの傲慢さによって炎に焼かれることとなるのだ。オビ=ワンは、先手を取る巧みさに加え、人格的な面でもアナキンを凌駕する形で勝負を決めるわけだ。片やアナキンは、「貴方が憎い!」と叫びながら火に包まれ、自身の暗い憎悪に焼き尽くされるままになる。アナキンが延命の為に機械化されていくシーンは、パドメの出産と死のシーンと同時進行していくが、いわばパドメは、ジェダイの騎士としてのアナキンと共に死んでいくわけだ。機械化による延命は、ジェダイ・マスターらが、死と共に肉体を消滅させ、霊体として永遠性を得ることと対照的だ。機械=物質性と、霊体=精神性。

今回、遂にダース・シディアスとしての正体をあからさまに露わにするパルバティーン。前二作では比較的に地味な存在として居続けたのが、彼の周到さとして利いてくる。冒頭の救出劇では、人質である筈のパルパティーンが、妙に堂々と椅子に座って待ち構えている姿が印象的。ヨーダとの決闘シーンでは、わざわざ二人を乗せた台を高々と上昇させて、パルパティーンが喝采の中で絶対的な権力を手中にした議場へと、闘いの場が移される。民主主義的な手続きによって民主主義を破壊した議会の座席が、シディアスの念力によってヨーダ(=ライトサイドの賢者)に襲いかかる光景は、宇宙の秩序が決定的に暗黒面に握られたことを容赦なく示していて、かなり衝撃的。

メイス・ウィンドゥ(サミュエル・L・ジャクソン)の電撃を受けるパルパティーンが、アナキンに助けを求めるシーンは明らかに、エピソード6の、皇帝に電撃を受けて助けを求めるルークのシーンと重ねられている。そのことで、エピソード6のシーンに於けるダース・ベイダーの心理にもより深みが与えられた。本作でアナキンがパルパティーンを助けたのは、パルパティーン自身を助けたかったというよりは、パルパティーンが、パドメの命を救う方法を知っている筈だからだ。それ故、エピソード6のベイダーは、自分がダークサイドに墜ち、皇帝の下僕となった決定的な場面を想起させる光景に遭遇し、元々は妻への愛が全てだったことを想起したに相違ない、と思えてくる。エピソード6単体では、息子への愛情が急に甦ったという程度の、些かご都合主義的なシーンとも思えたが、その、黒いマスクに表情を隠したベイダーの行動は、エピソード3によって、より深い陰影を得たと言える。

旧三部作で、ルークが片腕を切断されて機械の手になるのは、全身が機械化した父・アナキンのダークサイドを自らの内に受容する、という意味合いがあった筈で、最後に父と共に皇帝と対面するシーンで黒い衣装になっているのも、同じ意図があってのことなのだろう。新三部作のエピソード2でアナキンが片腕を切断されるシーンは、息子ルークの姿と重なる。エピソード2のラストの、パドメと密かに結婚式を挙げるシーンでアナキンがパドメに差し出す手が、金属の骸骨のような機械の手であるのが、近い将来の悲劇的な運命を予感させて痛切。エピソード1でヨーダが幼いアナキンについて「未来が見えぬ」と呟くシーンで流れる、例のダース・ベイダーのテーマ曲等、新三部作は、ここぞというシーンで引き起こされる情動の殆どが、来たるべき未来の予兆という意味を伴うものだ。

ところで、新三部作がそれまでの伏線を回収しつつ、最後の最後に驚くべき荘厳さを得たのは、9.11とその後のブッシュの言動、彼に喝采を送った議会といった現実の出来事が色濃く反映していることは否めないだろう。アナキンが言う「手を貸さないと言うのなら、敵だ」と、オビ=ワンの「シスらしい決めつけ方だな」という切り返しも、ブッシュの「全ての地域の全ての国が決断を今、下さなければならない。我々の側につくか、テロリストの側につくか、だ」という「決めつけ方」を想起しないではいられない。

そもそも、異星人たちが寄り集まって議会を成す体制自体、異人種が集まって構成されたアメリカの国柄の反映だと見ることも出来るのかも知れない。エピソード6の、テディベアと中年おばさんを足して2で割ったようなイウォーク族が必要以上に活躍するのは萎えるし、ダース・ベイダーの重々しく黒々とした活躍を虚しくさせてしまう失策ではあったが、やはりベトナム戦争での、密林のゲリラの原始的な戦術に翻弄された米軍のイメージが投影された結果なのだろう。テクノロジーと物量で圧倒する筈の「帝国」が、その土地に馴染んだ原住民の反撃によって撃退されるという構図。

ライトセーバーは、黒澤明の映画ですら武士を仕留めていた「銃」の攻撃を撥ね返す、という点がまず嬉しい。加えて、ライトセーバーの輝く刃が「使い手の意思」によって伸びて現れるのも、演出上の利点。鈍い音を響かせながら発光し続け、素早く一閃する際には強い音を発し、刃と刃が激突すれば、激しい衝撃音を響かせる。その音と光は、一太刀ごとに込められた使い手の情念を露わにする。本作に於いても特に、聖堂でパダワンの前にアナキンのセーバーが伸びるカットや、彼とオビ=ワンの対決シーンでは、その小道具としての秀逸さを遺憾なく発揮してくれていた。アナキンとオビ=ワンの決闘シーンは、広大な灼熱地獄のような光景の中、小さく光って見えるライトセーバーの刃だけが乱舞するショットが、より終末感を漂わせる。

アナキン対オビ=ワンのシーンと並んで荘厳な悲壮感を漂わせるのは、全ジェダイの粛清を命じる「オーダー66」のシーン。各惑星の戦場で陣頭を行くジェダイらが、その正々堂々たる勇敢さによって、背後を襲われる悲劇。オビ=ワンが狙撃されるシーンでは、彼が落としたライトセーバーを手渡したクローンコマンダー・コーディ(テムエラ・モリソン)の命令による砲撃を受けてしまう。ジェダイの騎士の証しであるライトセーバーを直接手渡してくれた戦友が、何の躊躇いもなく自分を抹殺しようとする。そして、脱出しようとするオーガナ議員(ジミー・スミッツ)を護ろうと現れた幼いパダワンもまた、容赦なく殺害される。本作は、ジェダイの虐殺、銀河帝国の誕生という、「スター・ウォーズ」シリーズの明るい世界観を根底から否定するような物語。その捨て身の作劇の迫力が、本作を感動的にしているのだ。最終的にはエピソード6に於いてハッピーエンドが訪れることは折り込み済みではあるが、むしろそれ故に、ここまで壮大な崩壊の劇を描き得たのではないか。

ただ、旧三部作にあって新三部作に致命的に欠けているのは、アメリカ映画らしい、会話の妙。その点に限っては、『クローン・ウォーズ』の方がスター・ウォーズらしい楽しさに溢れている。

(評価:★4)

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