[コメント] 醜聞(1950/日)
原発、醜聞、性病、末期癌。戦後日本人が、50年、60年を経ても、恐らく克服出来ないであろう(そして事実、克服できなかった)問題だけを敢えて選択し、そこに一抹の希望を見出そうと云うポリシー。それこそが黒澤の人気の秘訣なのだろう。納得させられた。
「お星さま」などという幼児語を敢えて用いてしまう黒澤にとって詩とは恐らく「草原の風と少女」的なものであり続けるのだろう、全体的に恥ずかしい台詞が多く、三船と志村がゴミの山で転がりまわるシーンに正直興ざめさせられた。
それでもその少し前の、三船と山口淑子が病巣の桂木洋子を見舞ってクリスマスを祝うシーンの、泣き崩れる志村喬をガラス戸の反対から撮り、そこに桂木洋子、つまり娘の後姿(うなじ)を反射させる、ここは実に印象的かつ説得力があり、世界中が愛するクロサワの才能を改めて確認することが出来た。
冒頭で、三船の描く絵を、結局最期まで見せなかった点も素晴らしい。
役者については、私もこれは志村喬と千石規子の映画だと思う。大言壮語で気の小さい法曹と、毒舌でさびしがり屋のモデル。役者の資質を活かしたナイスキャラクタリゼイションであった。
一方で、「榮」時代の小沢栄太郎の演技は、まだまだわざとらしくて、ステレオタイプだ。後年の彼のような絶対的な憎憎しさはまだ無い。
農民の一人に、上田吉二郎が含まれているのには驚かされた。舞踏家としても知られる彼の、ぶくぶくに太る前の姿を見るのは初めてだが、その怪異な容貌は、10数年後に同じ舞踏家として一世を風靡する土方巽とそっくりだった。
最期に、法廷劇として、荒唐無稽だが判りやすいし比較的良く出来ていると思った。或いは、時代を考えると凄いのかもしれない。
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