[コメント] あらしのよるに(2005/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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自分がこの物語に最初に触れたのは、TBSラジオの朗読劇であった。メイがサトエリで、ガブがTBSアナウンサーだった。これを面白く感じた自分は、参加していた朗読劇サークルにこの本を持ってゆき、幾度となく演じた。一通りの役を演じてみて、自分はガブが一番性に合っていて、面白い役だと感じた。以後、自分はガブを主に演じることになる。ここまでの経緯で、われわれに共通した認識が生まれる…ガブは男であり、メイは女である、ということだ。
その上での自分の解釈は、狼は男の、ヤギは女のアレゴリーである、という考え方だ。男は女を襲わねば種を存続できない(生きられない)。だが、ここで間抜けなほどプラトニックな恋があって、もはやそれは「友情」としてしか語れないものであったならどうだろうか。ときどき男は女に欲情をかき立てられ、その度に自分が襲った女の「辛さ」を想像してしまうこの馬鹿な男は、行為に及ぶことを諦める。それはふたりにとっては何ももたらさない不毛な関係だ。だが、「男と女」という関係になりたくない彼らは、いつまでも続く友情のみを選ぶ。
こんな受け取り方をするのは自分くらいかと思ったら、結構大人の読者には多いという話だ。反対に子供は先入観なしに、ガブとメイを男の子同士と見る、というデータが多いらしい。こんな事をつらつらと書き連ねてきたのは、あまりにひどい演技力の「声優」をこの映画は平気で使っているからだ。
狼側はガブも含めて適役である。だが、ヤギ側は例外はメイ(成宮については良い方だが、先にあげた偏見を抱く自分にはミスキャストに聞こえてしまう)と市原悦子だけで、あとは度し難く聞こえる。林家正蔵は『タッチ』の頃から一歩も進んでいないし、長老の坂東英二、ミイのTBSアナウンサーなどひどいものだ。そして、KABA.ちゃんというオカマ演技者の存在からひとつの結論が見出されるのだ。つまり、「男は女をステロタイプにしか理解できない」ということだ。やはりヤギ側はベテランの女性声優でまとめて欲しかった。狼側の女がただひとり、早見優という大根しか起用されていないことでもそれは知れる。
俺は男として狼を見、女を抱けない体ゆえにガブに共感する。だから、原作では第6巻の『ふぶきのあした』(本来の完結編。『まんげつのよるに』という続編はリクエストによって書き下ろされた)までを読んでその後を読んでいなかったことを正解だったと思う。これはあくまでも不毛の恋物語だ。メイと一緒にいる限り、ガブは食欲を満足させることはできない。メイは、ガブがネズミで空腹を癒したことにすら不快感を覚えるのだから、ガブには死しか待っているものはない。それならばかつての仲間たちとともに雪崩れに呑まれて絶命し、メイのみに楽園へのパスポートを与えて消えてゆく方が悲壮でずっといい。そこは作品への唯一の不満だ。
異論のある方も多かろうが、自分はこの物語に童話の枠を越えたシンパシーを持ち、メイへの騎士道を貫いたガブに男を見たものだ。それだけに、ハッピーエンドを迎えてしまった物語に一抹の寂しさをも感じるのである。もはやガブ自身の悲しみを理解してくれる者はいないのだから。
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