[コメント] ゲルマニウムの夜(2005/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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主人公は教会の統治する教護院を一度は出、殺人を犯してそこへ帰ってくる。だが、そこでアルミパイプで自ら磔刑の真似をし、自作のラジオから流れる「神の声」に耳を傾けるという主人公が、神の代理人たる神父に懺悔をした時、彼はこんなことを言う。
「これまでに懺悔した悪行のほかに、僕はこれから一人の修道女を犯し、孕ませます。そしてこの懺悔が許されるなら、総ての悪行は神から許されるでしょう。何故なら、懺悔が未来へもベクトルを伸ばしてゆくのなら、もはや今それを悔いることによって総ての罪は罰される必要がなくなるからです」
この子供だましの屁理屈で神父が感服してしまうのだから、なるほどキリスト教は神を見失っているのだろう。頼まれたわけでもないがキリスト教の弁護をすれば、懺悔とは神を信じ、その前に心から罪を悔いることではないのかね?花村はこんなことは先刻承知と思うのだが。こんな穴だらけの詭弁で、「神に近い男」を名乗れるこの映画世界はチャンチャラ可笑しい。角の曲がった牛は、ただ角が別方向を向いているだけで、特別な牛であるはずもない。
大体キリスト教に総ての宗教の代表を勤めさせ、涜神の限りを尽くすあたりのアナクロ具合も度し難い(原作のように白人支配者への反逆を匂わせるのならまだしも、浦沢義雄の脚本のように全員日本人にしてしまっては何の意味もない。キリスト教が日本の法律の上から日本人を支配したことがあったか?クリスマスのような文化的侵略を別にして…。才人・浦沢にしてこの改悪を行ってしまった事実を残念に思う)。それこそ深沢七郎『風流夢譚』を映画化し、国家神道の最高権力者である天皇一族が殺され、犯されるコミカルな一場面をスクリーンに映し出すことが出来たなら、自分はこのスタッフを尊敬するだろう(もっともスタッフは全員右翼に刺殺されるであろうが)。
当初この物語を観るにあたり、排泄物、愛液、臓物に塗れた悪趣味なフィルムと聞き、昼食が食べられなくなることを覚悟して行ったのだが、何、美しい雪に総て覆い隠されてしまうようなささやかなものであった。一角座受付のお姉さん、コーヒーとチョコレートをどうもありがとう。吐き出したりなぞしませんでしたよ。そして、最後まで心静かに拝見できました。もっとも何の新しさもない映画だったけれど。
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