[コメント] 大人の見る絵本 生れてはみたけれど(1932/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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戦前の監督作品の傑作と呼ばれる作品で、サイレントながら活き活きとした少年の表情と、いかんともしがたい現実を知ることのギャップが見事に示されている。
ただ、これは本来監督が作ろうと思っていたものとは違っていたらしく、最初は明るいこどもの話を作るつもりが、出来たものはこどもの哀しみを前面に出したものとなってしまったと言うのが真相らしい。しかしこのリアリティはどうだ。戦後イタリアで流行るネオ・リアリズムを完全に先取りしていた。
誰しも持つ無邪気な子供時代の記憶。自分の観ている世界は半分現実で半分は夢のようなもの。夢も思いこむことで現実にする力を子供は持っている。しかし、徐々にそこから子供なりに現実というものを知るようになる。自分はスーパーマンじゃないんだし、父親だって社会の波に揉まれて苦労しているんだと言うことを…それが成長すると言うことだ。
ここでの二人の子供、特に長男の方はその現実を身を以て体験することになる。自分は周りの子供の中でも一番強い。その自分が適わない父親なのだから、当然世間一般でも強いと思っていた。いや、彼の頭の中ではそれは疑うことのない真理だった。子供にとって父親とはそう言う存在なのだから。
しかし、そのこども達も現実を知ることになる。
自分の父親が決してスーパーマンではなく、決して一番えらい人ではないと言うことに。
勿論それ以前にそれを知るに至るまでの葛藤が必要になる。ここで描かれるこども達は、映写機に映るおちゃらけた格好を見せる父親の姿は我慢がならないものであり、そんな自分自身を「お前達のためだ」と主張する父親を軽蔑したくもなる。これまで畏怖の対象であった父親の権威は、ここでは単なる高圧的な態度と暴力にしか映らなくなる。そこで彼らは父親に、そんな人にぺこぺこするな。そんな格好をしたことで食べ物がもらえるんだったら、食べなくてもいい。子供なりの純粋な、そして社会に対する反抗がここにある。
しかし、その反抗も長続きはしない。僅か一晩。そして朝の一時を父と過ごすことで、そんな父親を、こども達は受け入れていく。
父というのは子供にとって絶対の存在だが、その父の本当の姿を見ることで、子供は精神的に成長をしていく。その瞬間を映し取ったと言うのが本作の最大の特徴であり、最大の強みなのだろう。
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