[コメント] セブン・イヤーズ・イン・チベット(1997/米)
どこをどう押せば、チベットってネタが出てくんだ?
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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主人公ハラーがダライ・ラマと心を通わせる合理性を結婚生活の破局だけに求めている。その一点でこの作品の想定している対象観客が透けてしまった。結果、ハリウッドプロデュースとジャン・ジャック・アノーのチカラ業の勝利。
主演男優で客を引き、誰かに癒されて成長する(したい)という、まさに先の想定観客側が願望しているストーリーで魅せるテクニックが旨いです(作品自体に奥行きはないけどね、だから次の日はもう忘れてる)。
本来、豊かな人間性を勝ち取ると言うことは、他者との関わり合いの中での自己との戦いであり、自助努力のみで培われた基礎が必要だ。その相手がダライ・ラマであろうが無かろうが、たいして違いはない。誰と関わろうが、自己の内面の問題だからだ。子供によって成長させられるとは、神話にしか過ぎない。成長できるのは、子供のお陰ではなく常にその人の向上心の成せることだ。子供との関わりはその切っ掛けにしか過ぎない。その経過を端折りすぎて、単なるブラピステキ映画になった。
癒されれば成長するって?、そりゃイソップの昔からの風と太陽の隠喩に譲りますよ。
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