[コメント] 東京物語(1953/日)
「いる」ようで「いない」・「鈍い」ようで「鋭い」・「遅い」ようで「速い」(レビューはラストに言及)
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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笠智衆はほとんどのシーンに登場するが、酩酊することはあっても感情を爆発させることはない。いつもあるがままを受け入れている。そういう意味で、彼はこの話の中心にいるにもかかわらず、まるでその場にいないようにも思える。
東山千栄子の死の宣告があったとき、長女は一気に感情を噴出し、そのぶん立ち直りというか切り換えが速い。それに比べ笠智衆は、「そうか」「助からんか」と自分に得心させるように単調な言葉を無表情のまま繰り返すところなど、感情の反応が鈍くて切り換えも遅いようにも見える。しかし、それもあるがままを受け入れる態度に起因しているのだと考えると、実は鋭くて速い反応なのかもしれない。
「いる」ようで「いない」、「鈍い」ようで「鋭い」、「遅い」ようで「速い」。同じく俗世間からはどこか超越的な存在であった原節子が、最後の最後で感情をぼろぼろっと崩れるように吐露したのに対し、それをも平常心で受けとめる笠智衆。こんなにもつかみどころのない人物像なのに、独りになったところの描写では物悲しさが浮かび上がってくる。最後に残されたのは「無常」なのか、それとも「無」なのか、考えれば考えるほどわからない。漠然とした悲しさだけは確実に伝わり、余韻を残す。
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