[コメント] 秋刀魚の味(1962/日)
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これが遺作となると味わいも深まるというものだろう。モノクロの小津がもたらした静寂は世界を凌駕してしまった。共通の言語として日本というものが世界に紹介されたのである。ドナルド・リチーが小津映画の影響も高らかに、自ずから東京の下町に住み着き、そして世界へ小津や黒澤を紹介し、それが世界から日本に帰ってきた。そのことを思えば、この遺作の何とも痛々しい色合いと家族風景と、そして日本間の下方から狙うカメラの向こう、扉の向こうの笠智衆が一人味わいながら酒を口元に運ぶ風景に胸を締めつけられる思いがする。
この遺作がカラーであることの忌まわしさは全く感じられない。その後の松竹映画は、失礼ながら寅さんシリーズにおいても失われてしまった。この原風景を松竹映画の基礎となるものが継承されていないことが良くわかる。
元来小津映画はコメディである。この映画も同様だ。しかしこれが一度外国人の目に触れた時点で趣が大いに異なってくる。この文化と言葉と音の静けさこそが根源的な色合いを為しているのだ。
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予定調和の映画なので、まあどこを切っても小津安二郎ですね。
岩下志麻さんのイモっぽい演技が気になりますが、晩年遺作の作品としては、予定調和の範ちゅうでしょうね。
『秋日和』という素晴らしい作品と比較すると、キャラの違いなどで面白みが変化するんですけども、年頃の娘を持つ妻を失った父親という設定は小津監督が最も得意とするシテュエーションですね。
それにしても小津作品にまつわる同じようなシーンの繰り返しに飽きないのはなぜなんでしょうね。
会社のデスク。電車。ビル。和室。アパート。和服。
セリフもそうです。
「ちょいと」とか「ねぇ」とか、江戸弁の応酬。
この作品で唯一小津監督が正面きって初めて取り組んだのが”テレビ”ですね。
まだまだテレビの普及期。ちょうど私が生まれた年ですが、まだ映画の方に人気があった頃ですよね。そんな映画界の重鎮小津安二郎監督がテレビの普及を予感させ、映画が衰退することを予測していたようなシーンが冒頭に出てきて、これもまたユニークな演出だなぁと思いました。
娘が嫁に行く、という一見ありきたりなシーンで終わるんですけど、老いの寂しさを必ず最後にもってくるあたりはご本人の晩年の作品として、自らの寂しさを映像に映し出しているようにも思えました。
2010/04/27 自宅
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